2019.01.04(金)
G・K・チェスタトン『正統とは何か』を再読
G・K・チェスタトンの『正統とは何か』を読んだ。
保守思想の原点なのだが、昔読んでたのにほとんど忘れたから、再読したのだ。
この書から多くの保守派が引用する部分はほとんど同じで、西部邁の亜流である。
熟読するとかなり忍耐が必要で、本当に読んでるのかいなと疑問を持たざるを得ない。
1900年代のチェスタトンの「常識」はキリスト教であり、特にカトリックであるから、ニーチェもマルクスも批判するし、ダーウィンの進化論も、進歩主義も批判する。
カルヴァン派の予定説まで「カルヴィニズムは人間から自由を取り上げて、それをもっぱら神に委ねた」と批判している。
「つい20年ばかり前には、新しい自由をもたらす制度として作られたものが、今やたちまち新しい圧制と化している」という文脈では、レコード大賞もテレビもオワコンだ、今はYouTubeが権威だと言い出す「流行馬鹿」が昔も今もいるのだと、現代にも通じるフレーズはいっぱい出てくる。
朝から読み始めて夕方までかかったが、再読しておいて良かった。