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2019.01.04(金)

わしがAKBに熱狂した理由

 

アイドルグループというものを考えてみたい。
なぜAKB48にあれほど嵌ったわしが、今は興味を失っているのか?

簡単なことで、AKB48 の快進撃は社会現象だったからである。
あれほどの大人数のアイドルがグループで売り出すという現象も初めてのことだった。

「握手会」で「会えるアイドル」というシステムが導入され、まるで選挙のようにファン(ヲタ)を獲得し、支持するメンバーを「推し」と言い、目移りすることを「推し変」と言ったり、独特の言葉が次々に生み出されていた。
新しい文化が生まれていたのだ。

ヲタの支持を得たメンバーが運営にも推されていくという「民主主義」のシステムが導入され、ついに「総選挙」までやり始める。
アイドルに「直接民主制」が導入されたが、実はその票自体が「カネ」で何万票でも買っていいという「金権選挙」を堂々と容認していた。

無名のメンバーをヲタたちが協力し合い、大量の票を投じて無理やり上位に押し上げたりもできるのだから、とんでもないアイドル・システムなのだ。

「恋愛禁止」がルールだと思っていたら、人権派の弁護士までが、それは少女たちに対する人権侵害だと非難し始め、その批判に負けて、運営が「そんなルールはなかった」と言い始め、以降はメンバーがヲタと恋愛しても「スルー」し始める。

恋愛禁止だったからこそ、それまで禁を破ったメンバーが残酷にも辞めさせられていたのだし、その残酷性が面白いという面もあったし、指原は禁を破っても辞めさせられることなく、HKTに移動させられ、以降のサクセスストーリーが作られた。
峯岸みなみは禁を破って丸坊主にして、世界にその様子がYouTubeで伝搬していくほどの大スキャンダルになってしまった。

恋愛禁止ルールがいつの間にか消滅したのは、「人権」というイデオロギーが、「少女の恋愛を禁じてはならない」というところまで、バブル化していたからである。

AKBに限らず、アイドルグループのヲタは決して若者ということもなく、恐ろしく老けたおっさんだらけだった。
年寄りでもAKBを応援していい、恥ずかしくないという居直りの市民権を保障したのが、わしや宇野や中森らの評論家だったのだろう。

グループ押しの者たちが、激しく他のグループといがみ合ったり、それがまたCDの売上競争につながったり、異例のことばかりだった。

わしがAKBに興味があったのは、非常に政治的な現象であり、カオスの中に新秩序がどのように形成されていくかを見たかったからである。
したがって完成形を見る前に、バッシングが来たら、必死で守るという態度をとったために、狂気じみていたかもしれない。

AKB48ブームが終わったのは、わしは「恋愛禁止ルール」の撤廃が一番大きかったと思う。
宗教の核心を捨て去ったのだ。

今でもAKB48のCDは300万枚も売れているという。
これは単純に拡大路線で地方にも直接会えるヲタを開拓していったからだ。
CDはヲタが「推し」に会って握手するために何枚も買っているだけの切符であり、曲が好きで買っているわけではない。

乃木坂や欅坂になると、もう社会性が全然ない。
可愛い女子に夢中になるかどうかの「私」的な話でしかない。

さらにAKBや他のアイドルグループのメンバーは、卒業したら単体で活躍できるのかという課題にも、どうやら結論が出たのかもしれない。

もうアイドルグループは社会現象ではなくなった。
社会の人々の目を剥き、顰蹙を買う存在ではなくなった。
安心・安全の社会秩序の中に回収されてしまったのだ。

わしが夢中になってたのは、理由がある。
飽きてしまったのにも、理由がある。
ただ、NMB48には未だに「私的」に可愛いいと思えて、未練が残るメンバーがいる。
そういうことだ。