卑小な「私」を直視できるか?『新戦争論1』は問う!
(byよしりん企画・トッキー)
『新戦争論1』の最終章
『葛藤の果て「ひょん」と死ぬる』
には、特に大きな反響をいただいています!
愛読者カードのお便りをご紹介します!
最終章の「私」と「公」の葛藤から
「個」を決断するという部分に
深く考えさせられた。
私には歳の離れた弟がいます。
反抗期の真っただ中で、
「私」情で言えば愚かしい弟です。
しかし、もし戦争となり、私と弟の
どちらかが戦争に行かねばならぬのなら
兄としての「個」を全うすることも
考えなければならないでしょう。
一方で、その決断が両親に対して
「長子」としての「個」について
不孝をしていないかという葛藤もあります。
両親についても安易な自民支持、民主批判が目立ち、
その点について不満があります。
そんな両親や弟に対しても「個」に対する
葛藤があるから「家族」という一番身近な
「共同体」をやっていられるのだと思っています。
そして、「家族」という「共同体」の中での
「個」を考えに考えた時に、次に「郷土」という
一つ大きな「共同体」の中での「個」を
考える様になると思うのです。
実は私の生まれ育った市は沖縄県の
とある市と姉妹都市なのですが、
沖縄戦でのわが県からの戦没者の慰霊碑を
現在の地に移されるまで守ってくれていたのが、
同市だったのです。
今後、有事となれば真っ先に
焦点となるのは沖縄でしょう。
その際に「郷土の人間として沖縄への
報恩のため戦争へいく」という
「個」の決断も必要になると覚悟しています。
他方、私は自分がグロテスクなものに
人一倍弱い事も知っています。
恐らく、実際に戦場へ行ったところで
早々にノイローゼになって病院で
終戦を迎えるのが関の山でしょう。
ただ、そういう
卑小な「私」を自覚して
葛藤しない事には、
「集団」の中で「個」を埋没させて、
更に卑小な「私」に
走るのではないでしょうか?
(愛知県・29歳男性・自営業)
ここまで自分自身を見つめ直し、
葛藤し、考えるきっかけとなる
本が他にあるでしょうか?
卑小な「私」から目を背けたい、
ニセモノの「正義」に酔いしれて、
卑小な自己にゲタを履かせて満足したい、
そんな歪んだ精神の人には
決して読めないのが『新戦争論1』です!
だから、爆発的に売れるという
のは難しいかもしれません。
じわじわとでも売れ続けることが、
日本に残ったわずかな
希望なのかもしれません。