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2020.01.01(水)

新年に喝を入れます

 

いまだに全国推進隊長が「ゴー宣道場」は「運動」か?と聞かれるらしい。
「運動」とは何だろう?
政治的主張を集団で社会に訴えたり、政治家に働きかけたりすることではないか?

いままで「ゴー宣道場」は師範が議論をして、それを観客が見て議論に参加するくらいのところで留まっていた。
「良き観客」とはデモをしない、市民運動をしない、ただ観客でいることを意味していたと思う。

実際に今も「ゴー宣道場」の議論には強い関心を持ち、毎回必ず応募して、毎回当選して、参加して帰るが、設営隊には入らないという人はいる。
個人の事情があるし、自分の現場だけで精いっぱいという人はいるから、それで構わないし、熱心な応募者は秘書みなぼんが必ず当選させている。
アンケートの内容も込みで、当落を決めているようだ。

そして現在の「ゴー宣道場」のままでも、師範たちが政治家に働きかける、つまりロビー活動をすることによって、実際に「生前退位」を国会議員の仕事にすることができ、「生前退位」が実現し、令和の時代を迎えることができてしまった。

だが、その師範たちも、「ゴー宣道場」の縁があって集結した者たちであり、ボランティアでやってくれる設営隊や、参加してくれる良き観客がいてこその場であり、この場があるから政治家や学者や知識人を呼ぶことができるのだ。
「ゴー宣道場」は10年もやってきたから、一定の評価と影響力を持ってしまった。

そして去年は、「ゴー宣道場」の潜在的なパワーを直感した門下生が、とうとう覚醒して動き始めた。
関東、関西、九州、中四国、東海にある「ゴー宣道場」をさらに拡大する試みが推進されている。
現状の政治に危機感を持ち、ニヒリズムに浸ってられないと思う人たちが、「戦うゴー宣道場」なら参加したいと入ってくる動きもあった。

高森明勅氏が「ノイジー・マイノリティ」に蹂躙される日本の政治は危うい、沈黙している大多数が、「ボーカル・マジョリティ」にならなければ日本は良くならないと言い、これが門下生に支持され、さらに倉持麟太郎氏が、選挙・代議制民主主義はもう機能していないと言い、「カウンター・デモクラシー」を育てないと、もう日本はどうにもならないと言った。

その役割を「ゴー宣道場」が担おうという志が「運動」というなら、「運動」でいいだろう。
それを今度こそ「個の連帯」でやろうということだ。
明治の自由民権運動もヒントになる。

「ゴー宣道場」を「カウンター・デモクラシー」の触媒にしようというのが、我々の意図である。
これに賛成する者が集まればいいし、賛成しないなら黙って去ればいい。
門下生とは契約しているわけでもなく、拘束しているわけでもないのだから、去るときは黙って去るのが礼儀だ。

わしはどうせ生まれてきたのならデカいこと考えて、一直線に突き進み、失敗してもあとで笑い話にすればいいだけだと思っている。
個人なら無力でも、個人の能力を集めれば、相当な威力を発揮する。
きっと我々は歳をとって再会しても「戦友」と感じて、思い出話に花を咲かせるだろう。
ちっこい「私」のプライドなんかに囚われず、「公」を目指して戦ってみよう。
戦争も経験できない退屈な人生の中で、我々は「戦友」になれるのだ!