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2019.07.17(水)

ポリコレ「007」にがっかり

 

「007」が黒人女性になるそうだ。
ポリティカル・コレクトネスの極致である。

以前から「007」は男尊女卑・マッチョイムズの映画だと批判されていたのだが、「007」はそういうものとして楽しむのが当然である。

ダンディで、タフネスで、知的で、勝負カンが鋭くて、圧倒的に女性にモテて、セクシーという、男の憧れが詰まっているのが「007」であり、中学生の時には、女のヌードのシルエットが乱舞するタイトルクレジットを見るだけで興奮していたものだ。

新作では、あのタイトルクレジットは、男のヌードが乱舞することになるのだろうか?
そんなものは断固として見たくない!

わしは女性の地位向上に賛成するし、「スターウォーズ」の主人公が女性になっても違和感を持たなかったし、王子さまを必要としない「アナと雪の女王」も大好きなのだが、それをポリコレとは感じなかった。
作品世界を壊すものではない。

だが「007」の主人公を黒人女性にする必要があるとは全然思えない。それこそ作品世界の破壊である。
強い女性を主人公にしたスパイ映画なら「チャーリーズ・エンジェル」があるじゃないか!
テレビシリーズも好きだったが、映画化されても全部見ている。

「007」はやっぱり白人男性でなければサマにならない。
アジア人男性でもダメだ。
ボンド・ガールの呼称を、ボンド・ウーマンにするくらいの変更は認めるが、「007」を黒人女性にすることは、あまりに政治的なイデオロギーを感じて、うんざりだ。

多分、白人女性にしても差別と思われると案じ、いっそ黒人女性にしてしまったのだろう。
それが一番衝撃的で話題になると思ったのだろうが、「007」にまで政治的平等性を持ち込んで何が楽しいのだろうか?
むしろ「表現の自由」を狭めていると感じてしまう。

男の美学がもう「007」では見られないのか。
ガッカリした。