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2019.05.06(月)

わしの元から去るべき人々

 

内輪の問題

承認欲求が充たされない者はアンチになる。

わしが特定の人物を評価したら、承認欲求を充たされる快感に酔い、権威主義によってわしを利用し、周囲を従わせようとし、わしを自分の独占物として扱いたがるまでに増長する。

そしてわしを雲上人にしたがる。
わしが門下生と直接交流することを嫌がるのだ。
だから「じっくりよしりん会」の企画は良かった。
今後もこれは続けよう。

一旦わしが評価した人物を、その後の行動によって、評価しなくなると、その人物は狂っていく。
熱烈なファンほど、わしが評価すると舞い上がり、評価を止めるとアンチとなって暴走する。

わしの評価だけが唯一、自分に自信を持たせる根拠だったのだろう。
わし以外にも、自分を評価して、承認欲求を充たしてくれる者がいれば、狂わないのだ。
家族や、地域や、会社や、自分の存在価値を認めてくれる共同体を持っていれば、わしの評価を失っても狂わない。

だが、孤独で、自分が評価される現場や共同体を持たない者は、わしが評価しなくなると狂ってしまう。

わしの評価が自分以外の者に移ると、わしに評価される者に嫉妬し、わしを激しく憎悪するようになる。
こうして誕生したアンチは、小林よしのりの信頼性を崩壊させるために、あらゆる手段を使う。
わしを信頼している者に接近して、わしへの悪評を振り撒き、誹謗中傷を行い、妄言まで吐き散らす。
もはやストーカーと化すのだ。

仲間と思っている者たちから、とっくに信頼を失っていることにも気づかず、もう客観性をすっかり失って、一人で空回りしてしまう。

憎悪は執着であり、愛情である。
愛情を振り捨てれば、あっさりわしの元を去って行けるのだが、なかなか去っていかない。
こちらはもう関心ない状態なのに、振り向いてもらうために攻撃を仕掛け続ける。

仏教では執着は苦の根本原因である。
我執は自分を不幸に落とすだけだ。

「ゴー宣道場」を去らねばならない。
わしの読者を止めねばならない。
わしへの執着を止めて、自分の現場に戻らなければならない。
他の共同体を探すか、「個」として自立するしかない。
わしを憎むな!
わしを愛するな!
わしに執着するな!
黙って、美しく去ることが、最後に残された選択肢である。