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2015.12.12(土)

『大東亜論』は『脱亜論』への挑戦!

 

(byよしりん企画・トッキー)

大東亜論第二部『愛国志士、決起ス』
の感想が早速、門弟から届きましたので
ご紹介します!


今週は『愛国志士、決起ス』と
『9条は戦争条項になった』をそれぞれ発売日に
入手でき、充実した週となりました。

睡眠不足にもなりましたし、山場は明日ですが(笑) 

『愛国志士、決起ス』を読んで思ったのは、
(今更かもしれませんが)
『大東亜論』とは『脱亜論』への挑戦として
先生が書かれているのかな、ということです。 

大久保率いる政府が朝鮮に砲艦外交をしかける
江華島事件が第八章で描かれていますが、
その10年後に福沢諭吉が『脱亜論』を
発表しています。(『巨傑誕生編』第四章) 

『脱亜論』で福沢は 「西洋人がアジア人に接するように、
我々も支那や朝鮮に接するしかない」 
と述べており、これがその後の国是になって、
日韓併合や支那事変へと事態が発展したのだと
私は思っています。 

よしりん先生がしばしばおっしゃっている 
「付き合いの長い隣国を植民地支配してしまったのが、
近代日本の失敗の一つだった」 
というのも、『脱亜論』の結果といえるでしょう。 

『巨傑誕生編』にもありましたが、福沢は金玉均と
交流しており、もともとは朝鮮が文明開化を
遂げることを強く望んでいたはず。

にもかかわらず、金玉均の改革は甲申事変で挫折、
さらに日本人の犠牲者まで出たことで、
大いに失望したのでしょう。 

そういう経緯あっての『脱亜論』ですから、
私は福沢を非難しようとは思いませんし、
尊敬の念も変わりません。

しかし、ロシアの南下政策を前にした非常事態とは
いえ、隣国を力に任せて脅迫し屈服させることは
何と言っても不道徳であるし、結果としてその後
長きにわたり禍根を残すことになっています。
今の日韓関係のこじれの原因の一つでも
あるでしょうし、百年単位でみればデメリットが
多かったようにも思えます。 

仮に西郷の遣韓使節が実現し、真の文明国らしく
「慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く」
(『西郷南洲遺訓』)ことをしていたら、
その後の歴史はどう展開していたでしょうか。 

大東亜戦争の結果は同じだったとしても、
日韓・日中関係は今と違うものになっており、
戦後の日本の立場は今よりも良くなっていたのでは
ないでしょうか。 

『脱亜論』を実践した史実と、道義を貫く国家の
ビジョンを抱いていた男たちの『大東亜論』。 

二つを照らし合わせながら考えることで、
日本の今選ぶべき方針も自然に見えてくるように
思います。 

大東亜論・第二部『愛国志士、決起ス』

歴史を見なければ現在は見えてこない!
そのために必読の書です!