「天皇なきナショナリズム」はカスである
わしは靖国神社を守りたい意志を持っている。
だが靖国神社が残って、皇統が滅びるようでは話にならない。
「天皇なきナショナリズム」はカスだとわしは考える。
安倍晋三・自民党・自称保守派・ネトウヨらはすべて、
「天皇なきナショナリズム」だから、カスである!
靖国参拝は何のためにするのか?
安倍晋三は「不戦の誓い」をしたと言った。
「二度と再び戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代を作る」
と言った。
偽善的な言葉を何度も出していたが、靖国神社の理念としては、
「不戦の誓い」はおかしい。
靖国神社は、近代国家をつくる上で、国に命を捧げた者を、
英霊として祀る神社だ。
つまり日本を戦争できる国にするための神社なのだ。
防衛戦争も出来ない国では危ういから、靖国神社は大切なのだ。
「不戦の誓い」のためなら、
尖閣諸島で中国と一触即発のこの時期に
靖国参拝を強行するべきではない。
もし中国軍が際どい挑発を仕掛けてきたら、
部分的な戦闘も行われるかもしれない。
アメリカはその事態を怖れているから、
「失望した」と異例の批判をしたのだ。
自衛隊員も死ぬかもしれないが、米軍が日本に付き合わされたら、
米軍の若者も死ぬかもしれない。
たとえ1名だろうとアメリカの若者が死ねば、
忽ち米国内ではこういう世論が巻き起こる。
「なんで戦犯を合祀した神社を日本の首相は参拝したのだ!?」
「なんでタカ派首相のために米国の若者が犠牲にならねばならないのだ!?」
「敗戦国の分際で東京裁判を否定するタカ派政権の支持など出来ぬ!」
さて、米中戦争だけは絶対に避けたいアメリカが退けば、
日中の部分戦争の帰趨はどうなるだろうか?
一国の首相が、
ナショナリズムを利用して政権の基盤を安定させるのは、
相当危険なことだ。
戦後レジームからの脱却とは、
「戦争が出来る国にする」ことである。
年末の忙しい時を狙って、
個人的な意地を通すだけのために遊んでもらっては困る。
8月15日であれ、例大祭であれ、
安倍首相が毎年、靖国参拝をしようと、
「天皇なきナショナリズム」なら何の意味もないというのが、
わしの考えだ!