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2013.02.03(日)

AKB48をバッシングする者は後を絶たない

 

AKB48をバッシングする者は後を絶たない。

東浩紀が何をむきになってるのか全然わからないのだが、
近藤康太郎などの知識人にも拡大していて、
人権弁護士が「恋愛禁止は人権侵害だ」と叩きまくっている。

フェミニズム系人権派のバッシングで、
かつてミスコンテストが次々に中止に追い込まれた時代を思い出す。

ようするに彼らはこのAKB48のシステムが崩壊すればいいと
願っているらしい。

AKB48に入って、夢を追う少女たちの思いを潰したいのだ!

なにゆえそこまで憎むようになったのか、わからない。

関心ないなら放っておけばいいのに、「AKB的なるシステムがいやだ」
「AKB『ファン』がいやなんだ」「AKBこそが公共性を育んでいるとか
血迷ったことをほざいている知識人に、嫌悪感を持っちゃうんだ」と、
どうやら『白熱論争』の面々にまでその憎しみは向けられているようだ。

凡百の単なるアンチのくせに、血迷ってるのはてめえだろう。

ユーモアのかけらもない魔女狩り野郎どもが!

AKB48に関心を持ち始めた頃、
こんなに画期的なシステムなら、必ず誤解だらけになって、
バッシングを生むな」と思った。

漫画というジャンルも、どれだけ魔女狩りされたかわからないし、
わしが描いてきた『東大一直線』も『おぼっちゃまくん』も
『ゴーマニズム宣言』もバッシングだらけだった。

AKB48を知ったとき、いつか「私、プロレスの味方です」の
村松友視のような役割を果たすときも来るだろうと、わしは思っていた。

AKB48のシステムはあまりにも画期的である。

今までのアイドルグループは運営が徹底的に管理している。

峯岸みなみのスキャンダル相手だって、
事務所を通じて「お友だちです」の一言だ。

この事態になって、自分の言葉で峯岸みなみへのいたわりの一言もないのは、
男としてあまりにも情けない。

まあ、これが恋愛ではなく、遊びだったことの証しなのだが。

だが、管理されたアイドルやスターならそれでいいのだ。

まさにアイドルはお人形なのだ。

だが、AKB48は違っている。

宇野常寛氏が言うように、個人個人の意思がだだ漏れなのだ。

だから勝手に丸坊主にしてユーチューブに上げるし、その夜には、
ググタスで仲間と集まって、峯岸がピースしてる写真をアップしてしまう。

逆効果になると大人から見ればわかるのだが、
彼女たちは主体的に自分たちの判断で「だだ漏れ」にしてしまう。

ファンの気持ちを置き去りにして、勝手に卒業していくメンバーも
後を絶たない。ファンはショックの連続である。

運営側も何が起こるかわからなくて大変だろう。

ファンだって心穏やかな日々がない。

かつてない民主主義的なシステムと、運営側の商売上の思惑と管理と、
メンバー個人の主体性が、せめぎ合って全体のシステムが変容しつつ
動いていく。

そのシステムはかつて見たことがなかったものであり、
例えば人気投票による弱肉強食の「少年ジャンプ」だって、
作家は出版社に管理されていて、個人の思いは「だだ漏れ」にはならない。

AKB48がメンバーの「だだ漏れ」を許す自由度を持っているからこそ、
事件が起こるのだが、事情を全く知らない外部からは、
「自分の常識外の現象だから嫌悪感を持つシステム」ということになる。

運営が出すビジョンや企画と、メンバーの「だだ漏れ」の意思表示と、
ファンたちの支えとマナーの形成、
これらの公共性がうまく育まれているとわしは思っている。

濱野氏の『前田敦子はキリストを超えた』を読んだが、確かにAKBには
「ソフトな宗教性」もあり、それは現代社会が必要としているものでもある。

これが政治に応用できないかと宇野氏は言うのだが、
政治は権力争いだけだからわしは無理だと思う。

AKB48は論じることはいくらでもあるが、
AKBファンは論なんか必要としてない。

プロレスは案外理屈好きのインテリが多かったが、
AKBファンはトレーディングカードにしかカネを使わないから、
商売にならないのが難点である。

しかしメンバーに会ってしまうと、守らなければと思ってしまうのは、
わしの性格だから仕方がない。