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2013.02.02(土)

AKB48「不文律」としての恋愛禁止とは何か?

 

AKB48の「不文律」としての恋愛禁止とは?

恋愛禁止は明文化されていない。

アイドルの不文律として、昔からあったものである。

松田聖子から西野カナまで、アイドル性のある可愛い歌手たちは、
歌唱力がずば抜けていれば、男ができてもやっていけるだろうが、
AKB48の子たちは、「容姿の可愛さ+楽曲の良さ」が揃ってファンが付く
アイドルだろう。

アイドルの語源は「イドラ」 で、
偏見で対象のありのままが見えなくなる状態のことである。

「聖なる少女」という偏見が壊れれば、人気は下がる。

推しメンに何票でも入れたいという情熱はわしにもあるし、
AKB48のシステムはそこが面白い。

もちろん、何票でも票を入れたいという情熱は、
「聖なる少女」という偏見が壊されてしまえば、 一瞬に醒めてしまう。

例えばわしにとって、 指原莉乃はもうアイドルではない。

ただし反射神経の良さで、タレントとしてわしは認めた。

 

恋愛禁止は「不文律」だから、破ったときの対処は一律には決められない。

一人一人のルール破りの程度や状況、さらにAKBへの貢献度、
そして本人の意思などを考慮して、運営が決めるしかない。

指原莉乃や峯岸みなみのように、ファンの強度と、グループへの貢献度と、
残りたいという本人の強い意志によって、
移籍や降格処分で残すという 「例外」 が出来るのは当然である。

この「例外」があるという事実が、原理主義的な息苦しさをなくす効果がある。

「粋なはからい」 というものが、運営側にちゃんとある。

運営側は大変繊細な判断を行っている。

 

昨日公開された 『DOCUMENTARIY OF AKB48』 の中で、
恋愛スキャンダルを起こしたメンバーが、握手会で謝罪し、
卒業の挨拶をするシーンがある。

それを見ていた戸賀崎支配人が、悔しくて男泣きしていたシーンを見て、
メンバーに対する愛情の深さに感心した。

スキャンダルを起こして、辞めていくメンバーに一番つらい思いをしているのは、
彼女たちを育てた運営の者たちなのである。

「不文律」を冒した者に対して、一律の処分はできない。

ましてやその処分の意味合いを、昨日今日ファンになった者や、
外部の者たちにわかるはずがない。

NHKニュースのように、面白がって論評する街の声や、外国人の声を拾うことは、
単にバッシングに加担することにしかならない。

 

漫画もかつては悪書追放運動に晒され、校庭で焚書までされたが、
AKB48も現在その手の攻撃に晒されている。

魔女狩りはいつの時代も甦る。

それもまた 「偏見」 の仕業なのだ。

峯岸みなみの丸坊主の決断を、誰かに強制された体罰だとする強烈な 「偏見」 は、
アイドルは自分で考えて、自分で決断しないものだという 「偏見」 に基づく。

峯岸みなみの個人としての主体性を認めないのだ。

 

わしは峯岸みなみの 「大いなる決断」 を支持する。

そしてみぃちゃんに言いたい。

そこまでしてAKB48に残りたいという意思を示してくれて、ありがとう。

わしは感謝します。