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2022.01.08(土)

デマを許さぬ全体主義より、デマもある民主主義

 

「オドレら正気か?」のイベントでは、その時その時、意見の同調者のストレス発散のためだけではなく、議論を先に進めるために必要なゲストを揃えます。

「同調者のタコ壺」から脱け出て、社会にインパクトを与えなければ、単なるガス抜きになってしまう。

わしのイベントでの議論は、のちに『ゴー宣』で描写したり、それがまた単行本に収録されたりして、拡大再生産されていく。

わしは司会ではないが、議論の進行を事前に頭に描いているので、期待通りに発言してくれたら御の字で、想定外の発言で展開を制御するのが難しくなるくらいの方が面白くなるという場合もあります。
あとで『ゴー宣』で漫画化したくなる議論になればありがたい。

コロナ禍では、権力のデマ認定と、これに協力するYouTubeの「削除」運動によって、言論の「公的領域」が縮小してしまっている。
わしは「デマを許さぬ全体主義より、デマもある民主主義の方が優れている」と考える。
中国や北朝鮮に行けば、河野太郎やYouTubeが望む「公的領域」が著しく狭まった空間が存在する。
そしてわしは「デマは権力の側にあり」と断言する。

ハンナ・アーレントが、人々は労働だけに囚われて動物化してはいけないと言った。
河野太郎やYouTubeや厚労省やこびナビの労働者こそが、その動物化した存在そのものだ。
アーレントは、自分をこの世界に「アピアランス」して、多様性のある「公的領域」を拡張しなければならないと言ったが、まさしくその通りで、わしのイベントは日本の「公的領域」を拡張するために行なっている。

コロナ禍とは、ウイルスが人間社会に「禍い」をもたらしたという意味ではない。
臆病で動物化した人間たちのせいで、社会に「禍い」がもたらされたという意味合いで、わしは「コロナ禍」を使っている。
わしはこの戦いは勝利すると信じている。
今日はその勝利への号砲を鳴らす。