女性団体の抗議を怖れて自主規制を要求されるのはおかしい
来週発売「SPA!」の『ゴー宣』で、森喜朗集団リンチ事件について描いています。
今日、その内容で、編集部からネームの修正を要求されました。
その部分というのが、なんとわしが書いたネームではなく、わしに意見を書いてきてくれた女性の文章なのです。
人の文章を勝手にこちらで修正していいはずがない!
その文章に女性団体から抗議が来るのを怖れているのだから呆れ果てる。
そもそもその女性の文章に抗議してくる団体がいるはずもない!
よしりん少女像のときと同じように、いるはずもない女性の抗議団体の虚像を描いて、わしの表現を妨害してくるのである。
女性の抗議団体を、昔の同和団体みたいに恐れるのは、まったくナンセンスだ。
「SPA!」は女性団体から抗議を受けた過去が、完全にトラウマになっていて、わしの女性に関する表現にも、異様にナーバスになってしまっている。
わしは『ゴー宣』で「女性論」の連載を始めようと思っている。
「女性論」は「男性論」でもある。
日本の未来のために、それを描かなければならないときが来たのだ!
なのに編集部が女性団体の抗議を怖れて、わしに自由に描かせてくれるかどうかも分からない。
異様なまでに臆病なのだ。
わしの表現に問題があったときは、わし個人の問題であり、編集部がわしを守らなくていい!
わしは1人で100人相手でも、議論する。
その議論の会場も、わしが自費で借りて、ネットで生中継でやることができる。
完全に公明正大で、もしその場でわしが誤っていると思ったら、きっちり謝罪して、描いた作品を訂正する。
わしは覚悟を持って、「女性論」を描きたい!
昔の『ゴー宣』では、部落問題や、オウム真理教問題など、もっと危険なテーマに挑戦して来た。
抗議はいくらでもあったし、暗殺されそうにもなった。
だが、「公」のために描いてきたのだ!
読者諸君、わしが自由にタブーに斬り込んで描けるように応援してくれ!
女性のためにも、男性のためにも、わしは描かねばならんのだ!