2019.05.24(金)
酒に呑まれる奴について
丸山穂高が「戦争しか領土を取り戻す方法はない」とシラフで言ったとしたら、それはそれで一つの見解として、わしは認める。
だが、酒に呑まれてしまう人格は、わしは基本的に認めない。
政治家が酒に呑まれて「公人」であることを忘れてしまうのは、国家のために危険である。
丸山穂高を辞めさせたいのなら、「酒乱」を理由にすればいい。それなら賛成する。
一般人でも、わしは酒に飲まれる人物は嫌いである。
酒に呑まれて、「公」を忘れ、「私」だけになり、暴言・妄言を吐き散らす人格は信用しない。
酒を飲むと確かに気持ちがいい。
気が大きくなってなんでも言えてしまう。
だがそれは勇気ではない。
脳をしびれさせてしか言えない、振舞えないという人格は警戒しなければならない。
人を見るとき、酒とたばこに頼る奴は、精神的に弱いのだろうなと、どうしても思ってしまう。
シラフでも、わしは酔っぱらってるのかと勘違いされるくらいテンション上げることはできる。