「ゴー宣道場」は民主主義ではない
内輪の話
「ゴー宣道場」は民主主義の場ではない。
いつもいつもこの点を勘違いして、理解しない馬鹿が現れるのだ。
どんな集団にも必ず民主主義があると思っている奴がいる。
「ゴー宣道場」にも、参加者に主権があるとか、説明責任を果たさなければならないとか、思い込んでいる馬鹿が現れる。
「民主主義という病い」に罹っているからなのだ。
もし「ゴー宣道場」を、わしが完全独裁で好き勝手に運営したとしても、誰にも非難する権利はない。
カネは誰が出しているのか?
リスクは誰が取るのか?
わしが責任を持つ限り、わしがどんな運営をしても勝手であり、それが苦痛ならみんな去るし、楽しけりゃついてくるだけだ。
はっきり言っておくが、「ゴー宣道場」はわしが、他の師範たちと創ったのであり、資金はわしが出して創設した。
現在の「ゴー宣道場チャンネル」が今の運営資金だが、会員は1000名足らず、500円の4割近くをニコニコ運営に持っていかれるから、大した金は入らない。
足らない分は、わしが補填している。
「ゴー宣道場」の運営のために、参加者から税金とってはいないし、リスクはわしが負うのだ。
これのどこが民主主義か?
門弟・門下生に何の権利があるのか?
ほとんどは分かってくれているのだが、中には、参加しているだけで権利があると思っている者がいるから呆れる。
その根本のところを、ちぇぶや支援する男たちは分かっていて、音響システムもカネがかからないように配慮し、ケーブルのカネはわしが出すと言ってるのに、手作りしたりしてくれている。
彼らは権利を主張するのではなく、ボランティアで「ゴー宣道場」の役に立とうとだけやってくれるから、実にありがたい。
しかもそこに義務感もなく、楽しみながらやってくれる。
もちろん「ゴー宣道場」は「現場を大切に」が基本だ。
参加者がなにも彼らにひけ目を感じる必要はない。
良き観客であればそれでいいのだ。
ただ、自分に権利があると思うのだけはやめてくれ。
わしの選んだ路線に反対するのはやめてくれ。
「ゴー宣道場」もわしの作品だと思っているから、常に真剣に考えているのだ。
わしが信用できないなら、去ってよろしい。
わしは民主主義が嫌いだ。
イデオロギーとして、「ゴー宣道場」にまで浸透してくる権利意識が不愉快でならない。
「ゴー宣道場」は民主主義の場ではない。
リスクをとる者がほぼわししかいないのだから、民主主義の集団ではない。
なぜ、こんな単純なことを分からない奴がいるのだろう?
『民主主義という病い』や『新・堕落論』は読んだのか?
弱者のルサンチマンが、わしは大嫌いなのだ!
読んでないのか、理解できない頭脳なのか、そこに集団があれば、民主主義があり、タダで権利を主張してよいと考える奴がいる。
民主主義の権利はリスクを負う者しか主張できないと、いいかげんに気づけ!