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2013.09.14(土)

五輪招致ナショナリズムに見る「私」と「公」

 

五輪招致ナショナリズムに見る「私」と「公」を述べる。

 

オリンピックの東京招致に対する国民の反応について言っておく。

これをスポーツ関係者や子供・若者が喜ぶのは、本来素直な感覚である。

それは「私」的な感覚であり、同時に素朴なナショナリズムであり、
7年先に目標が出来たような気がして、活力が出るというのなら、
「公」にも繋がるかもしれない。

わしの「私」的感覚としては、マスコミがオリンピック一色に染まると退屈だし、
都内の交通渋滞や、ホテルの利用も出来なくなると考えると、煩わしくて、
五輪開催期間中は東京を脱出したいくらいだ。

だが、あくまでも「公」的に考えておく必要もある。

 

安倍自民党が、五輪招致が経済成長の起爆剤だと言うのなら、
「ちょっと待て」と「公論」を発揮するしかなくなる。

オリンピックの経済効果が極めて限定的なものだということは、
もう常識である。

ソウル、アテネ、北京、ロンドンなどの開催地は、その後どうなった?

そもそも1964年の東京五輪の翌年から 40年不況に突入したことも、
長野五輪で大赤字が出たことも、もうわかっている。

知っている大人としては「公論」を発するしかない。

オリンピックの 経済効果については、
来週火曜配信の『小林よしのりライジング』 で詳細に述べよう。

 

さらに安倍晋三の「汚染水完全コントロール」発言のような
卑劣な「ウソ」を許すのは「公」的な態度ではない。

被災地の復興を真剣に考えているなら、安倍自民党の「五輪のための被災地復興
という転倒した考えは、十分警戒しておくのが「公」的な態度である。

しょせん「祭り」の心理的構造は不安の忘却であり、カタルシスであり、蕩尽である。

経済活動の東京一極集中は、地方の疲弊と被災地復興の遅れをもたらすだけだろう。

 

オリンピックとは「国」のため、「公」のためのイベントではない。

IOCと協賛企業が儲けるために、「都市」が催すイベントである。

それは極めて「私」的なイベントであり、商店街が「オリンピック」の名目で
商売することも許されないほど、協賛企業の独占物なのだ。

そのような利権まみれの「私」的な商売に、
皇室を利用することは許されない!

皇室の権威の失墜に 繋がる暴挙である。

皇室は世界中の人々の幸福を「公平」に祈る存在であって、ヨーロッパの王室とは
全く違うということを、日本国民も、政治家もわかっていないのだ。

わしの『ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論(小学館)を読んで、勉強しろ!

ナショナリズムはどんな現われ方をしても正しいのではない。

尖閣諸島をカネで買おうというナショナリズムで集まった寄付金はどうなった?

「寄付金ナショナリズム」は中国との一触即発の「開戦前夜」を
もたらしただけだった。

在日朝鮮人に対するヘイトスピーチは、
日本人の品位を汚す醜悪なナショナリズムである。

ナショナリズムは、必要な場合もあるし、醜悪な場合もあるし、危険な場合もある。

五輪招致ナショナリズムにも、落とし穴がある。

そもそもオリンピックは国家ビジョンにはなり得ない。

五輪招致を絶対善にするのは「私」に埋没した怠慢である。

それが「国柄」の危機に繋がるのなら、
警鐘を鳴らすのが「公」なのだ。

株をやってる者や、ゼネコン関係者が「私利私欲」で喜ぶのは当然だろう。

子供がマスコミに洗脳されるのも仕方がないが、
それにしてもこの国には大人が少なくなったものだ。