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最終フェイス(小学館/コミック)第2巻

ぶっとい眉に広がりっぱなしの鼻、大ダラコの唇にはりがねのような髪…そんな破壊的な顔面を持つ主人公・一条かれん。がしかし、本人は自分の顔を、人類が最終的にたどり着いた美の極致=「最終フェイス」だと信じていた!!かれんの母親である大女優・一条麗子もまた、「この子は顔面の革命児!未来の超美人!」と固く信じて疑わない。たとえ周囲から「ブス」と罵倒されようと、周囲を呆れさせるほどの自信と強烈な性格によって、かれんはいつしか芸能界でのしあがっていく…!「顔の美醜」、ひたすらそれだけに拘って描かれた傑作。“美醜”という観念は、果たして絶対的なものなのか!?

 

 

2巻(19915月発行)

vol.1 くちゅびゅる

vol.2  顔面神

vol.3  原宿モーゼ

vol.4  スキャンダル

vol.5  黄金デュエット

vol.6  デュエット誕生

vol.7  自殺未遂キャンペーン

vol.8  キレツ

vol.9  ドドドラマ

vol.10  完全vs.最終

vol.11  汚物もんだい

vol.12  発表!ドラマ以上

vol.13 さびしん坊将軍

vol.14 トラブル発生!!

vol.15 顔面決着

vol.16 美しい

YOSHINORI VOICE

 

「『最終フェイス』“顔面の革命児”の衝撃!」(byよしりん企画・トッキー)

 

 『最終フェイス』は1989年から91年にかけて「ヤングサンデー」(小学館)に連載され、単行本全2巻が出版されました。

 それにしても、何なんでしょう、このタイトル。

 連載開始の頃、映画『リーサル・ウェポン2』が公開されて「○○の最終兵器」なんて言い回しがよく聞かれたのですが、「最終兵器」ならぬ「最終フェイス」です。

 しかしこの「最終フェイス」、「最終兵器」どころではない、とんでもない破壊力を持っているのです!

 では、何を破壊したのでしょうか?

 それがこの作品の見どころであり、テーマと言えましょう!

 

 「最終フェイス」とは、「美人の条件に最終的に決着をつける顔」なのだそうです。

 女性の美しさの条件は時代によって変化します。平安時代はおかめ顔、江戸時代から明治にかけてはうりざね顔。そして現代では西洋風の顔が美人とされてきました。

 そして、そのような「美」の変遷が、最終的に到達した顔、究極の超美人、それが主人公・一条かれん、16歳!

 ……と、本人、およびその母親は固く固く信じています。

 しかし、その二人以外は、誰一人それを認めません。そんなギャップが巻き起こす騒動から、この物語は始まります。

 

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 「現代の美人の概念にひとつもあてはまらず、かといってブスというには深みがありすぎる!」

 「この子は顔面の革命児! 未来の超美人!」

 と断言するのは、かれんの母親である大女優、一条麗子

 かれんはこの大女優の母の魂と、父親である大作家、一条点線の顔を受け継いだ最強の女性なのです! 「逆ならよかったのに」は言いっこなしですよ。

 ちなみに父親の「一条点線」のモデルは、まあ、見ればわかるでしょう。『点と線』の社会派推理作家ですね。連載当時は、まだご存命でした。この大作家が、自分と同じ顔の娘を怖れ、狼狽しまくる場面は、シリーズ序盤屈指の爆笑シーンです。

 

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 物語の舞台は、芸能人が多く通う「折腰(おりこし)学園」。美男美女が揃っているはずのこの学園も、かれんの目には「時代遅れのブスだらけ」にしか見えません。この上なく気高い大女優の魂を持ったかれんは、平気で「このクラス…… ブスばっかり!」と言ってのけるのです。

 もちろん逆に他の人々は、かれんを「ブス!」と罵倒します。しかしかれんは「この美がわからないなんて、センス悪い!」と嘲笑うだけ。嫌がらせを受けても、「嫉妬による美人いびり」だと受け止め、その自信は滅多なことでは揺らぎません。

 そんなかれんに迷惑にも見初められてしまい、ひたすら翻弄されまくるイケメン男・榎本健一。なぜか昭和の喜劇王と同じ名前ですが、当初は他にも昭和の喜劇人をもじった「柳家金五郎」なるキャラも考えられていたようです。それはともかく、この榎本の心理の揺れ動き、これが作品全体の重要なカギになってくるのです。

 

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 『最終フェイス』には主人公・一条かれんを筆頭に、実に多彩な女性キャラが登場します。しかしこれがまた、どれもこれも、一癖も二癖もあるような人物ばかり!

 かれんとは正反対に、可愛い顔をしているのに自分はブスだと確信し、かれんに憧れる金城玉果(きんじょう・たまみ)

 バブル真っ最中の連載当時の世相をストレートに表したイケイケ系3人組、美形ンズ

 パーフェクトな美人(かれんから見ればダサイ古いブス)であるゆえに、異常なほど自意識過剰の美女丸蝶子(びじょまる・ちょうこ)

 外面はブリっ子、内面はスケバンだがプロ根性はハンパないアイドル、浅川樹里

 

 

 よくもまあ、こんなにアクの強いキャラが次々出てくると思わされます。一方、イケメンの榎本健一をかれんと取り合う役どころだったはずの立花美香というキャラは、強烈な性格設定がないため、ほとんど活躍の場がないまま消えてしまいます。

 この作品は、連載中は女性からの評判が大変非常によかったのですが、掲載誌の「ヤングサンデー」は読者の大半が男性で、看板作品が武田鉄也・小山ゆうの『お~い!竜馬』という雑誌だったため、誌内での評価がいまひとつ伸びず、よしりん先生は単行本2巻分でストーリーに一区切りをつけ、自ら作品を打ち切ってしまいました。

そして今にして思えば、連載誌での人気がいま一つ伸びなかったのも、むべなるかなという気もします。同誌の読者だった青少年男子は童貞力が強すぎて、ついてこれなかったのでしょう。……いや、失礼。きっと、このようなキャラを楽しむには、女性に対する感覚が純情すぎたのでしょう。

 

 性格的に癖のあるキャラばかり出てきたこの作品ですが、後半になって真逆の女性キャラが登場します。

とにかく純真、可憐で健気で、ものすごくいじらしいのです、性格は。本当に可愛いのです、性格は。

 でも、ただ性格がいいだけのキャラなんか、この漫画に出てくるわけがありません。このキャラ、性格がいい代わりに、およそヒト科ホモ・サピエンス離れした顔面、そして身長1メートル85センチ、体重98.8キロの巨体!

 しかし芦屋のお嬢様で、ピアノが引けて料理も上手、繊細で、折り鶴を折るのが好き。トイレットペーパーの端から掛け布団まで、何でも鶴に折ってしまう。口癖は「~でごんざれす」「~でつる」

 その名も権戯洲恥美々(ごんざれす・ちみみ)!!

 

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 何だか「悪ふざけ」で作られたようなキャラですが、これが単なる悪ノリでは済まないところがよしりん先生の意地の悪い…いやいや、奥の深いところ。こんなキャラを出された日には、「人間、外見よりも内面だ!」なんて紋切り型の文句は、あっという間に消し飛んでしまいます。

 性格さえよければ、この外見でも許容できるか!?

 これ、なかなかに究極の質問ですよ。

 

 よしりん先生は『女について 番外編 木嶋佳苗の場合』(「わしズムVol.31 真夏のまなざし号」2012年)で、

 「男でも女でも、人格の内実より、顔の良し悪しのみで異性から判断されるケースが多いのは仕方ない」

 「超イケメン殺人鬼、超やさしいブ男、女はどっちと寝るか?」と書いています。

 なんとよしりん先生は『最終フェイス』の「恥美々」のキャラに託した究極の問いを、22年後に表現を変えて再び読者にぶつけて見せたのです。

 逆に言えば『最終フェイス』という作品も、何年経っても色あせていないということなのです。

 

 さて、『最終フェイス』には終盤にもう一人重要なキャラが登場します。

 全身整形手術で完全な美を手に入れ、「平成の美女」として芸能界のトップを狙うタレント、鳴田美鈴

 

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 全身整形の美女…といえば、沢尻エリカ主演で映画化もされた岡崎京子氏の漫画『ヘルタースケルター』の主人公「りりこ」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

 実は岡崎京子氏は『最終フェイス』を愛読していて、鳴田美鈴のキャラから作品の発想が生まれたのだそうです。それについては、評論家の中森明夫氏が『AKB48白熱論争』の中で語っています。

 もちろん、あくまでもギャグとして描かれる『最終フェイス』と、じわじわ迫りくる破局をシリアスに描いた『ヘルタースケルター』は全く異なり、同じアイディアが作家によってどう変わるかを見るのも興味深いものです。

 『ヘルタースケルター』では、りりこの整形前の風貌は描かれず、劇中のセリフや、りりこの妹の容姿から想像させるようになっています。そして、整形の事実が世間に明らかになることが、決定的な破局であるというストーリーになっています。

 一方『最終フェイス』の鳴田美鈴は、整形であることに一切の後ろめたさを感じていません。惚れた榎本に対して、自ら整形前の自分の写真を見せ、

「手術前の私を知られたからってなんともないわ! だって今の私に自信持ってるし、満足してるもの!」

と言い切ってしまうのです。

 またその整形前の顔が身も蓋もないブスで、読者も劇中の榎本と一緒に、整形だろうと何だろうと、美人のほうがいいなあと思わされてしまいます。この辺、巧みです。恥美々の場合と同様、ここでもありきたりの「整形で獲得する美よりも生まれつきの姿のほうが尊い!」みたいな文句はあっさり吹き飛ばされてしまうのです。

 

 それにしても、ここまで女性の業のようなものをあっけらかんと明るく描いてしまうあたり、連載当時に男性読者がドン引きし、女性読者には好評だったというのもわかります。

 そして、こういうものが描けてしまうのは、やはりよしりん先生が若いころから数々の女性を奥底まで観察してきた賜物なのでしょうかねえ…?

 

 主人公・一条かれんはあくまでも自分が最高の美人だという揺るぎない自信を持ち、周囲の認識とのギャップがギャグを生んでいきます。

 これが普通のギャグ漫画なら、主人公は単に「ボケ」を演じ、周囲に「ツッコミ」を入れられて笑いをとって終わるパターンでしょう。ところが、それでは済まないのがよしりん漫画です。

 かれんは決して周囲の空気には負けません。

 強烈な顔と、それ以上に強烈な性格によって、逆に周囲の空気の方を屈服させ、芸能界でのし上がっていく。しまいには、従来の「美醜」の価値観まで破壊して、この顔こそが美しいのだという新たな価値観を作り上げてしまう…というのが、この漫画のクライマックスです。

 

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 この作品は作者自ら「お気に入りの作品」に挙げている一本なのですが、その理由もわかるような気がします。

 このキャラクター、このシチュエーション、いずれもよしりん先生が特に好んで描いてきた要素を完全に備えているのです。

 よしりん先生のデビュー作であり、代表作の1本である『東大一直線』の主人公・東大通も、完全なアホであるにもかかわらず、本人は自分が東大に入れるエリートだという揺るぎない自信を持ち、周囲の認識とのギャップがギャグを生みます。

 ところがそれだけでは終わらずに、続編『東大快進撃』では予測もつかないストーリーを展開し、衝撃的な結末を迎えるに至ります。知らない人はもったいない、今や伝説のラストシーンです。

 

 常識的な世界に闖入してきた異形の主人公。ところがそのパワーにより、「常識」とされていた世界の方が変えられていく。

 

 それが『東大一直線』の東大通、『最終フェイス』の一条かれんであり、そして、実は『ゴーマニズム宣言』の主人公・小林よしのりもまた、この系譜に直接連なるキャラクターなのです。

 周囲の認識としては何の権威も知識もない漫画家であるにもかかわらず、自身の直感と常識とリテラシーに依って、専門家や知識人の言説、世間の空気に敢然と異議を唱え始めたのが『ゴーマニズム宣言』の小林よしのりです。

 20年前の連載開始当初は、現実の壁に跳ね返され、ピエロに終わるだろうと思われていたはずです。それがいつの間にか本人の強烈なキャラクターとともに支持を集め始め、無視できなくなった知識人が批判を始めるようになりますが、小林よしのりは猛反撃を加えて蹴散らしてしまいます。

 それは、従来の論壇の常識では考えられないキャラクターの闖入であり、「竹ヤリで戦っていた論壇村に核ミサイル持ってやってきた」と評した評論家もいます。

 その結果、やがて不変と思われていた周囲の空気の方が変えられて行きました。90年代は、日本は中国・韓国に対してはとにかく謝罪するのが当然で、「愛国心」なんて言うと「危険思想」扱いされる空気ができ上がっていたのですが、今ではそんな時代があったことなど嘘のようです。

 そして、いま現在も戦いは続いている最中なのです。

 

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 さて、『最終フェイス』は、ひたすら「顔の美醜」をテーマにした作品です。

 もしかしたらこれは、ギャグ漫画にしかできない領域であり、ということは『最終フェイス』が唯一無二の作品なのではないか? とも思います。

 だって、小説や評論など文章でやろうにも、そのビジュアルが示されないことには読者に美醜というテーマを十分伝えることはまず無理でしょう。

 しかも「顔の美醜」というのは、誰にとっても自分自身のこととして避けて通れない問題で、それゆえになかなか露骨には語りにくいものです。それができたのは、やはりギャグ漫画だからこそではないでしょうか。

 

 最終回『美しい』では、かれんに翻弄され続けたイケメン男・榎本健一がこう独白します。

 「目が大きくて、鼻が高くて面長で……等々、今の美人の基準なんて…

 明治以降の西欧人コンプレックスが作り上げたものにすぎないじゃないか!

 結局…美は幻想にすぎないのだから、強れつなパワーで新しい幻想を築き上げるほどの女性が出てきたら…」

 榎本は、一時は全身整形の美女・鳴田美鈴になびきかけるのですが、結局は人工的に作れる美人の顔に嫌気がさすようになっていきます。そして、価値観の転換を鮮やかに描き出したラストシーンを迎えるのです。

 

 よしりん先生は、ほんの一瞬「KARA」にハマりかけたものの、整形で作れるような、見分けのつかない美人顔にあっという間に飽きて、AKB48にハマったわけですが、これって、20年前に描いた榎本の行動を、ご自身で現実に繰り返したんじゃないでしょうか?

 ある時、よしりん先生はしみじみとこんな言葉を漏らしました。

 「なんで顔の美醜なんてものにこだわらなきゃならんのかねえ…。

 目二つと鼻と口の配置だけのことなのに」

 顔の美醜とは、何と奥深く、謎めいた問題なのでしょうか!

 

 この普遍的なテーマを描き切った稀有な作品であるからこそ、『最終フェイス』、いま読めばまた今日的な発見ができること、請け合いです。

 いま読めば、いつしかこれが、絶世の美女に見えてくる……かもしれませんよ!

 

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