「『厳格に訊け!』“人生相談王”降臨!」(byよしりん企画・トッキー)
タイトルの「厳格」とは主人公の名前です。村田厳格、45歳・僧侶。ただしこれがムチャクチャに破天荒なお坊さんです。濃厚こってりの顔そのままに、ギラギラしまくり、お坊さんだというのに煩悩も欲望もむき出し! 特にその性欲の強さと言ったら……あ、この作品、作者よしりん自ら「わしのえぐさの、スケベさの極致に、誰もが顔を赤らめるだろう」とコメントしたことがあるくらいですから、お読みになる場合、お子様のいらっしゃる方は本のお取り扱いに十分ご注意ください!
さてこの厳格和尚、妻子を残して13年間の放浪生活の末に悟りを開き、若者の悩みを聞き、若者の精神に自由をもたらし「人生相談の神」になるために帰って来た…というのです。
その出で立ちも、お経らしき文句(これがよく見ると、とんでもないエロお経)を全面にあしらったオーバーオールに蝶ネクタイという奇抜な姿。アクセサリーとして身につけた木魚とお鈴を鳴らしまくりながら「悩んでるな、悩んでるな、人として~。人はみな、悩んでるタール人」のキャッチフレーズと共に現れ、頼まれようが頼まれまいが、破壊的な「人生相談」をぶちかましていく。ここに強烈なギャグが展開されていきます。
この作品は1988年から翌年にかけ「ヤングサンデー」に連載されました。ヤング誌というのは、読者と年齢が近い若手の漫画家が、同世代感覚を共有して描く作品に人気が集まりがちなのですが、当時よしりん先生は35歳。中堅からベテランにさしかかろうという時期でした。しかし、よしりん先生は無理に読者に合わせようなどとは毛頭考えません。それなら逆に、思いっきりおっさんを主人公にして、若者を叱り飛ばす漫画を描いてやろう! ということで生まれたのがこの作品、このキャラクターなのです。
何度か『ゴーマニズム宣言』でも描いていますが、よしりん先生は昔から「早くジジイになって若者を叱り飛ばしたい」と発言しています。それを一足先に漫画で実現させたとも言えるでしょう。
そしてこの漫画の最大の特色は、何と言っても主人公・厳格のキャラクターの強烈さに尽きます。
デビュー作の「東大通」に始まり、時には読者が引いてしまうほど強烈なキャラクターを数知れず生み出してきたよしりん先生ですが、厳格の狂気、パワフルさは、全キャラクターの中でも屈指の凄さです。
80年代の反原発運動最盛期に「海綿体の制御棒が折れて、油圧計が異常に上がって、チャイナシンドロームおこしとる~~~~っ!!」「早く、きみの冷却水で、オレさまの原子炉を冷やせーーーっ!」なんてギャグ、今なら完全にNGでしょう(当時でもか?)。
なにしろ『厳格に訊け!』の連載は、ちょうど『おぼっちゃまくん』が大ブレイクを迎えた時期と重なっていて、よしりん先生、乗りに乗りまくっています。もう止める者なしです。
かなりどぎついエロを描いているのに、陰湿な感じがせずにカラッと笑えるあたりは、『おぼっちゃまくん』で「ちんこ」を連発していてもイヤらしくならない感覚と共通のものでしょうか。だとすれば、茶魔が子供の欲望を無邪気に全開させたキャラクターであるのと同様、厳格は大人の欲望を無邪気に全開させたキャラクターと言えるのかもしれません。あ、茶魔が成長したら厳格になるという意味ではありませんので、念のため。
さて、皆さんは「今東光」(こん・とうこう)という名前をご存知でしょうか。
『ゴー宣』のコアな読者なら、よしりん先生が時々自らの理想の将来像として名前を挙げているのでご存知かもしれませんが、昭和52年(1977)に79歳で亡くなっていますから、若い人にはほとんど馴染みはないかもしれません。
今東光は破天荒な性格や言動で知られ、時に「昭和の怪人」とも評された僧侶であり作家です。僧侶としては天台宗大僧正になり中尊寺貫主などを務め、作家としては直木賞受賞の他、勝新太郎・田宮二郎主演で大ヒットシリーズとなった『悪名』の原作など、多くの小説が話題となり、他にも参議院議員、画家、テレビのコメンテーター等、生涯にわたって活躍を続けました。また、瀬戸内寂聴の師僧としても知られています。
しかし、なんと言ってもよしりん先生の世代で今東光といえば『極道辻説法』でした。これは「週刊プレイボーイ」に連載された人生相談で、喜寿を過ぎてなおよーしゃなく若者を叱り飛ばす毒舌が当時、大きな評判を呼んだのです。
その一部は『毒舌 身の上相談』(集英社文庫)で読むことができますが、いま読んでもスゴイ。
相談者に向かって「手のつけられねえほど愚鈍であるよ、てめえという男は!」「糞ったれ野郎!」「本当に張り倒すぞ。この馬鹿野郎!」なんて罵倒するのは序の口。場合によっては「悪いことは言わん。死にな」「切に自殺をお勧めいたします」と切り捨てることもあれば、関係を持った女性に不誠実なことを言ってる相談など来ようものなら「生意気なこと言いやがって。親のスネ齧りのくせして、チンポだけ発達してやがる。そんなチンポ振り回さずに、スパッと切り落としちまえ! この糞チンポめ!」と激烈です。
しかしそれは単なる暴言ではなく、相手を選んで言っており、その根底には自身の豊富な人生経験と文学的、宗教的素養が流れている、一見明瞭爽快、実は複雑微妙な名回答の数々です。
これを元祖として、奔放に生きてきた著名人に人生相談をさせる企画がその後、数多く組まれるようになりました。しかし未だ今東光を超えた者はないと言っても、決して過言ではありません。
そして『厳格に訊け!』は今東光和尚の『極道辻説法』を、厳格和尚というキャラクターを以てやろうとした試みだったと言えるでしょう。
連載初期は主人公・厳格のキャラ紹介を兼ねた通常のギャグ漫画形式で、毎回「悩みを厳格に送れい!!」という告知が付けられ、そしていよいよ第5回から、読者の悩みを厳格が訊くシリーズがスタートします。
よしりん先生は読者との「call&response」によって作品を盛り上げていく手法を得意としており、まさにこの時期、『おぼっちゃまくん』で読者から寄せられる「茶魔語」を次々作品中に登場させて、大ブームを巻き起こしている最中。これをヤング誌でも! という意欲作だったわけです。
ところがその意に反して、実際に読者の悩みが漫画に登場したのは、ほんの一部に留まってしまいました。
いま『毒舌 身の上相談』を読むと、今東光のみならず質問する若者の側の「熱さ」にも驚かされます。今和尚に叱られるのは承知の上、というよりむしろ「叱ってほしい!」と言わんばかりに、よくまあここまでと思うほど赤裸々に自らの悩みを語っているのです。
しかし今和尚遷化して10年以上を経過し、バブル真っ最中の時代の若者は、自分の中の悩みを自覚することも、その悩みが何に起因するかを追求することも、誰かに悩みを訴えることもしなくなっていたのでした。
ウラ話をしちゃいますが、あまりに使える悩み相談が来ないので、この頃よしりん先生はスタッフや編集者みんなに「何か悩みはないと?」と聞いていました。
当時よしりん企画に入ったばかりの新米アシだった私・時浦も聞かれたのですが、当時の私は今東光も『極道辻説法』も知らず、『厳格に訊け!』のコンセプトもよく理解していないような体たらくで、「編集部に持ち込んだ漫画のネームが通らない」などと、ホントにどーでもいいことを言ってしまいました。
結果、『厳格に訊け!』に登場した「時浦」の投書としてよしりん先生が作ったのが
「厳格和尚 今年こそは女がほしいんだ。もえるような恋をしたいんだ。海でナンパして恋を始める方法をおしえてくれ! それともナンパした女とじゃもえるよーな恋はムリか?」
…というものでしたが、こういうのがかつての『極道辻説法』によくあった典型的な相談だったのです。
結局、よしりん先生は読者からの悩み相談という当初のコンセプトを断念して路線を変更、「八苦の塔」シリーズを開始します。
ブルース・リーの『死亡遊戯』よろしく、厳格が八重の塔を登っていき、各階に待ち構える刺客と「人生相談対決」を繰り広げるというストーリーで、毎回登場する奇想天外な刺客や相談者のキャラクターが、最大の見どころとなっています。
いま読むと連載時からの時の流れに、つい感慨深くなるキャラもいます。
例えば相談者の一人、若さの苦悩を叫ぶように歌う「尾砂樹」(オザキ)というロックンローラー。厳格は、彼の歌の原点は「悩み」であり、もっと悩ませてやることだって解答なのだと、あえてその悩みを解決しません。
当時はまさかそのモデルのミュージシャンが、3年後に悩みを抱えたまま死んじゃうとは、夢にも思いませんでした。
逆に、若くして亡くなって「伝説」になっちゃった今では、こんなパロディーが描かれていたことの方が信じられないかもしれませんが。
また、「阿部ちゃん」という相談者のキャラもいました。ファッション誌のモデルもやっているカッコイイ男なのだが、容姿がカッコよすぎて無様なことができず、「自分はもっと自分をさらけ出したい!自分に正直な感情表現をしたいんだー!」という悩みを訴えていました。
厳格は、そう言いつつも姿・形にこだわる阿部ちゃんに、結局姿・形にこだわるのなら、お前は人間ではなく人形だ!「人形に悩みはないはずだ!」と一喝。それを受けた阿部ちゃんは「人間として生きる」ことを選択します。
当時このキャラのモデルは、ファッションモデルとして絶大な人気を獲得した後、俳優に転身したところでした。ところがその容姿ゆえに「ありきたりの二枚目役」しかつかず、いつしか忘れられた存在になってしまいます。
しかしその後一念発起、人間的な感情をさらけ出す演技力を身につけ、今や幅広い役柄をこなす実力派俳優です。いま見ると何だか『厳格に訊け!』が予言だったような気すらしてきます。人生、いろいろですねえ。
『厳格に訊け!』は「八苦の塔」シリーズを終えた後、意外な展開を見せます。
厳格は息子・達也が通う私立王舞我(おうまいがっ)高校に用務員として入り込むのです。
ヤングどもの真っただ中に潜入し、用務員室に「厳格寺・分室」の看板を掲げ、ここを拠点に「我が人生相談の王国を築こう」…というのが厳格の目論見だったのですが、そこに現れたのが高圧的な生活指導の教師、江呂井英雄でした。
江呂井は徹底した管理教育の権化であり、子供に自由を与えることは堕落のきっかけでしかなく、学生の自由など一切認めるべきではないと主張し、学園を恐怖で支配していたのでした。
さあ、こんな人物と「自由の権化」のような厳格和尚がうまくいくわけがありません。最初は調子よく取り入ろうとしたものの、生徒を信頼すべきと言う理想主義的な女教師・本田美紗に対する下心(?)やら、江呂井によって仲を引き裂かれそうになっている生徒たちに対する親心(??)やらに動かされていくうちに、決定的に江呂井と敵対し、対決することになるのです。
おどけて「シュワちゃん」なんて呼ばれる前のシュワルツェネッガーみたいな、コワモテの江呂井のモデルは、よしりん企画のチーフ、広井です。ただしあくまでも顔だけのモデルで、性格は全然違いますので念のため。
また、女教師・本田美紗のモデルは当時よしりん先生が推しまくっていたアイドル・本田理沙なので、このキャラはこのエグイ作品中で珍しく最後まで清楚なイメージを保っています。
あとモデル不詳ですが、常に湯呑茶碗を手放さず、なにも考えてなさそうで実は渋く考えていた校長・御茶ノ子菜斎(おちゃのこ・さいさい)が、最後までイイ味出してます。
この校長、人は好さそうなのですが、校内の実権は江呂井に完全に握られています。そして終盤、驚愕の事実が明かされます。
校長は以前、制服・校則の自由化を進めていました。ところがそれに対して「国家教育庁」は、生徒の中から思想的にも自由になり、国家に反逆する危険分子が現れる恐れがあると判断。そして、学生のうちに反抗の芽を徹底的にそぎ落とすべく派遣されたのが、国家教育庁直属の私立校管理官・江呂井だったのです。
そしてここから、一学園を舞台としていたドラマが、むき出しの国家権力との戦いというテーマに突入していきます!
学生たちはついに江呂井に反旗を翻し、学園内の民主化運動を立ち上げます。しかし江呂井は平然と「権力の支配の究極は暴力なんだよ」と言い放つのです。 江呂井は既に剣道具と木刀で武装した親衛隊のような一軍を組織しており、民主化運動をあっさりと暴力で弾圧してしまいます。その描写は、当時発生直後だった中国の天安門事件をストレートに反映したものでした。
学生たちは血まみれで倒れ、民主化運動は国家権力の暴力の前に一敗地に塗れます。
そして、そこに厳格が登場!
この権力と闘える者がいるとしたら、それは厳格和尚しかいないとかねてから言っていた校長は、こう叫びます。
「権力のお化けには、この自由と煩悩のお化けをぶつけるしかないんですよ!」
その声を受けて厳格がたった一人で戦いを挑んだ「説教革命」。これがこの作品のクライマックスとなります!!
『厳格に訊け!』は「説教革命」シリーズが終了した次の回で最終回を迎えます。
第1回で厳格は、13年間の放浪の末に悟りを開いて帰って来たわけですが、その13年間に何をしていたのかという謎が最終回に明かされるのです。
第1回には厳格が滝に打たれながら悟りを開き、「わしはどえらい人間になってしもーたーあ」と叫ぶシーンがありますが、最終回にも同じシーンが出てきます。そして、煩悩と欲望の塊でありながら、自ら悟りを開いた「人格完成者」と言っていた厳格の「悟り」とは何だったのかが明らかになるのです。
連載当時、第1回でさりげなく張った伏線を、最終回で見事に回収していることに感動した私は、それをよしりん先生に興奮気味に話しました。ところが当の本人は、ほんの1年ちょっと前に描いた第1回にそのようなシーンがあったことを、一切覚えていませんでした。
全くの無意識のうちに作品の整合性をつけていたことに、私は心底仰天したものです。
また、そこで明かされる「悟り」も、いかにも厳格らしく一見破天荒ですが、よく読めば深さを感じずにはいられないものです。それは、偶然にもかつて今東光和尚が「なぜ自分は存在するのか?」という質問に与えた、以下の回答にも通じるものがありました。
「なぜてめえがいるかって? だったら、ジーッと座ってチンポコ見てろ! 何でてめえのチンポがそんなところにあるのか、何でこれが大きくなったり、しぼんだりするのか、何でだかよく考えてみろ。あるがままのものを見てわからなかったら、永遠にわからんのだから。(中略)
何時間でも覗いているうちにハッと気がついて、あるべきものはあるべきものなんだ、ということに気がつくだろう。つまり『何々べきように』というのが明恵上人の教えなんだ。(後略)」(『毒舌 身の上相談』集英社文庫)
これはよしりん先生が今和尚に私淑したためでしょうか、それとも、宗派は違うもののやはり僧侶だったお祖父さんの影響からきたものなのでしょうか。
そして最終回のラスト3ページ、厳格はある事件に遭遇して衝撃を受け、若者の悩みを聞き、相談に乗るだけでは今の若者は救われず、若者を救うには、まずこの世の中を救わなければならないのだ……と思い知らされるのです。
これは、前代未聞の最終回でした。何しろ「人生相談で若者の精神を救う」という連載初回からのコンセプトを、ラスト3ページでひっくり返してしまったのですから。
読者に人生相談の投稿を呼びかけても「call&response」が成立しなかった『厳格に訊け!』。今や自分の悩みを自覚することすらなくなってしまった若者たち。それを救うには、まずこの世の中を救わなければならないというのが、最後に到達した答えなのでした。
かくして厳格は「時代を救う」ための修行へと旅立っていき、この作品は幕を下ろします。
そして実は、去っていった厳格と入れ替わるように現れた、現実に世の中を変え、時代を変えようとするキャラクターがいます。
そのキャラクターこそ、『ゴーマニズム宣言』の主人公、小林よしのりなのです!
『厳格に訊け!』は、『おぼっちゃまくん』と『ゴーマニズム宣言』をつなぐ位置に存在する、重要な作品だったと言えるでしょう。