2015.12.11(金)
野坂昭如氏ら「朝ナマ」文化人を偲ぶ
野坂昭如が亡くなった。
小田実も大島渚もすでにこの世にいない。
3人とも「朝まで生テレビ」の常連で、反戦平和の
「サヨク」だった。
戦後の才能ある文化人は「サヨク」が主流だった。
西部邁がその流れを変えた。
「サヨク」が限界を迎えていたのだ。
その頃はわしは一般視聴者だったが、「朝ナマ」は
文化だった。
エンターテインメントとしても面白かった。
わしが出演し始めた頃は、まだ野坂や大島は健在だった。
『戦争論』のわしが登場した頃は、二人とも
不愉快そうだった。
野坂には「小林よしのりをぶん殴ってやる」と
宣言されていた。
どこかで会わずに済んでよかった。
わしは自宅に閉じこもる職業である漫画家ゆえに、
しゃべりはてんで苦手で、まだ「サヨク」の彼らにも、
論理より、存在感で圧倒されていた。
とにかく昔の「朝ナマ」はキャラが濃かった。
小田実も野坂昭如も大島渚も、プロフェッショナルとして、
独自の作品やムーブメントを生み出す業績を
持っていた。
なんといっても「才能」である。
今の「サヨク」や「自称リベラル」には「才能」がない。
「才能」のある者は、社会性がないオタク系になって、
言論の世界には登場しない。
高度経済成長が終わり、社会から「活力」がなくなって、
若者の中から強力な「存在感」を発揮する者が
育たなくなった。
若者を活性化させるためにも、わし自身が謙虚さを捨て、
嫌われる覚悟を持たねばならぬと内省している。