2015.04.05(日)
雑だから美しいという感覚
今日も8時に起きて、例の大作2本目の作画を開始。
下描きの段階だ。
今夜は「ゴー宣道場」の打ち合わせがあるから、
それまで集中して描く。
わしは目覚めが良くて、目が覚めると8時だ。
顔を洗ったら、すぐ作画を始める。
下描きはビシビシ決まり始めた。
途中で『大東亜論』のペン入れもするが、18日までに
例の大作のペン入れを終了させるのが目標だ。
ストーリー作りと作画は全然違う。
ストーリーを作ってるときは、朝8時に目覚めたら即、
頭が回転し始める。
布団の中でしばらく考えていると、いいアイデアが思いつく。
すると矢も楯もたまらず起き出してパソコンを開くのだ。
アイデアは出ない時は出ない。
傍からは、ぐうたらしているように見えてしまう。
だが、ペン入れは描きさえすれば完成に近づいていく。
スピードの問題だ。
もちろん速けりゃ荒くてもいいという話ではない。
登場人物や背景に命を吹き込む作業だから、
芸術性・センスが必要だし、気迫が要る。
ライジングのコメ蘭に漫画描いてる者がいて、
PCで描くと、キレイだけど生気のない絵になると
言っているが、分かる気がする。
やはりペンで描いて、「雑」を残しつつ、
生命感のある絵に仕上げなければならない。
ひょっとしたら絵画も似たようなものかもしれないが、
キレイと美しいは違うだろう。
生命というものは、猥雑だから美しいのだ。