特定秘密保護法案について2
「特定秘密保護法案」では、「テロ」の定義をする条文にこうある。
「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し」
「デモ」は「主義主張」の「強要」と解釈できるから、
石破茂の言う通り、「絶叫デモはテロ」ということになってしまうわけだ。
石破茂は「絶叫戦術はテロ行為」とブログに書いた。
だが普通、デモは民衆の政治に対する怒りだから、絶叫になってしまうものだ。
悲壮感が漂えば、民衆は武器を持たないのだから、絶叫で声を届けたいと思う。
整然と粛々と行うデモならば、権力者に無視されるから、絶叫になるのだ。
すでに日本のデモは警察に十分規制されているのだから、
これ以上規制するのならば、民主主義国家ではなくなってしまう。
中国では共産党がデモも徹底規制しているが、日本はあんな独裁国家ではない。
70年安保の時代は、現在のデモの比ではなかった。
もう十分、大人しくなったのに、それでも「テロ」と言うようでは、
政治家も異様に度量が狭くなったものだ。
そんな政治家だから、
「特定秘密保護法案」なんか、危なっかしいと思うしかない。
しかも在特会&ネトウヨの「ヘイトスピーチ」は、
権力に対してデモしているわけでもなく、
少数民族への差別のために 「絶叫デモ」しているのに、
安倍政権はむしろそれを許容している。
「テロ」などと言ったことがない。
さらに言うなら、選挙のときの街宣車からの候補者の名前の連呼は、
下品な騒音そのものでしかなく、石破茂の定義ならば、
「テロ」そのものである。
法律は条文の解釈次第で、権力者が応用できる。
石破茂のように狭量な政治家が党首の政権が出来たとき、
反対者のデモが「テロ」だと感じるような政治家が多くなったとき、
「特定秘密保護法案」はいくらでも悪用できるのである。