思想をとるか?世間をとるか?
昨日の「オドレら正気か?」生放送は、15日の「よしりん十番勝負」の真相をとことん喋ってしまった。
結局、「男系固執村」という集団が出来上がってしまっていて、その住民を相手の言論商売をしていたら、真実は見えなくなる、見たくなくなるということだ。
それは「思想」じゃない。
自分の支持者を「論理」で説得するか、あえて切り離す勇気がなければ、自分を欺く言葉しか出せなくなる。
欺瞞のタコ壺に自ら嵌っていくしかないから、「思想」がなくなり、ムラの掟を復唱するしかなくなる。
自分のプライドが保てれば、皇統が絶えてもいいのかもしれない。
そういう連中は「保守」を自称しているが、やってることは皇室破壊を企む「極左」である。
「側室なしの男系」しか認めないというのは、男系カルトだが、「女系しか認めない」と主張する女系カルトなどこの日本には存在しない。
我々は男系でも女系でもいいと言っているのであって、「双系」で皇統を千年万年、維持しようと言っているのだ。
迂闊に言葉を吐くと、その人物の思考回路も、人格も、全てが見抜かれてしまう。
議論とは恐ろしいものだ。
まるでストリップショーのようなものだ。
ちなみに我々はいつまでも「女系容認」という言葉を使っていてはダメだ。
田中卓氏が言っていたが、「女系公認」と言わなければならない。
もっと正確に言うならば、「女系」とは、女から女へ延々と相続が続く家系のことで、婿養子が何代も続かねばならない。
たった一人、女が入ったら、その後は全部「女系」なんて定義が狂っているのだ。
カルトというのは何から何まで狂っている。
お天道様が見ているから個を貫くという人物など、日本には小林よしのりしかいないのであって、99.9%の日本人は、世間の視線でしか動かない。
コロナ禍を見ても、男系固執禍を見ても、世間には逆らえないのが日本人である。