しくじりは誰にだってある
「しくじり」は誰にだってある。
しくじった時は、さっさと撤回して、軌道修正すればいい。
たかがしくじりを高すぎるプライドや意固地が邪魔して、撤回できない、軌道修正できない、それでは成長しない。
「個」が出来ていない証拠だ。
ライジングの流行語大賞に「謝ったら死ぬ病気」が入っていたが、自分がそれに罹ってないかは常に自己点検しなければならない。
「ゴー宣道場」の門下生の中には全国展開を目指したい者がいて、経済状態や時間の余裕がなくて、現実的にそこまで付き合えない者もいる。
どっちも無理をせず、楽しめる範囲で「ゴー宣道場」に参加しておけばいい。
関東の「ゴー宣道場」は、上意下達はなじまない。
ゼロから立ち上げて、試行錯誤を繰り返し、開かれた場で議論しながら続けてきた歴史があり、いろんなトラブルを乗り越えて残った者たちだからだ。
そもそも人数が少ないから、まだ直接民主制が成り立つ。
規模がデカくなったら代議制を取らねばならぬから、透明性を確保した上意下達も必要になろうが。
全国どこでも同じ道を辿るかは分からない。
関西のカレーせんべいや九州のdaiは、指導力が必要かもしれない。
関西の設営隊長はすでに替わっているし、頼もしい女性たちが脇を固めているようだが。
ちぇぶさんは地方推進隊長として、今後もめっぽう明るいキャラを活かして欲しいし、savaさんも使える人だと、青山での設営のときに思った。使えるは失礼か?
ごっさんとカレーせんべいは全く違う個性だ。
どちらもわしは信頼している。
ごっさんは現場を大切にしつつ安定路線を行って欲しいし、カレーせんべいは野心に燃えて欲しい。
カレーせんべいを信頼するのは、リスクを負う覚悟があるからだ。
直接電話してトラブルを解決する度胸には目を見張る。
人の信頼を得るのは恐ろしく難しい。
信頼を得るには実力とキャリアと素直さとリスクを負う覚悟が必要だ。
「ゴー宣道場」全国展開と言っても、それはわしが実力を示し続けなければ目標にもならない。
わしの才能が枯れ、実力を発揮できなくなれば、あっという間に他ならぬわしが信頼を失う。
『ゴーマニズム宣言』が終わったときに、一部の門下生が夢に描いた「公論のためのカフェ文化」が残っていれば、嬉しいのだが。
枯れ果てたわしがそこを訪ねてコーヒーを飲もう。