言論には覚悟が要る
「SPA!」は執筆者どうしがケンカになることを恐れる。
わしは他の執筆者の記事は読んでないし、もっぱら色っぽい記事しか見ていない。
わしから他の執筆者を批判することはないから心配しなくていい。
だが、わしに関するデマを流し続ける古谷ツネヒラにしても、わしに対していきなり謝罪要求をする
町山智浩にしても、「SPA!」で書くことがあるらしい。
「SPA!」には多くのライターが書いているから、その誰も批判してはいけないと言われると、もう議論そのものを封じられることになってしまい、『ゴー宣』は描けなくなってしまう。
やはり、「SPA!」誌上でも、誌以外でも、小林よしのりに対して、突如、後ろから斬りつけた無礼者に対して、その凶刃を振り払って返り討ちにすることは許可してもらわなければならない。
それこそわしの「表現の自由」を奪い、「人権」を剥奪していることになろう。
(普遍的な人権があるとすればな)
まあ、専守防衛は本能として抑制できないからな。
その場合でも、「公」のためであって、私的なケンカにするつもりはない。
嘘は嘘!デマはデマ!間違いは間違い!
真実は何なのか?
それだけを読者に伝える「公」的な意義の下に書くのだ!
わしの言論は「公」のためであり、かつ「王様は裸だ!」と思わず叫んでしまう衝動は、わしの本能であるから、これを押さえ込んで欺瞞的・偽善的な表現をするようになったら、わしは表現者として終わりだ。
わしは間違いは認める。
わしに斬りつけてくる者も、間違いは認めるべきだ。
本当は「六十にして耳順う」境地に至りたいが、これほど堕落した社会では、わしが穏やかになったら、もう誰も同調圧力をはねのけて真実を言う者がいなくなるだろう。
わしより若い世代まで、今では世間体を気にして、食い扶持確保のためにポジショントークしか出来なくなってきた。
わしは、あえて「凶暴」になるしかない。
噛みついてきた奴は食い殺す!
これは若い世代に覚悟を促すためにも、仕方がないことだろう。