2018.04.12(木)
記憶の限りでは会ってない
柳瀬唯夫首相秘書官の「記憶の限りでは会ってない。」という言葉は面白い。
「限りでは」という言い方がミソだ。
「会ったかもしれない。けれど記憶の限りでは会ってない」という意味になる。
では、記憶以外にあった可能性があるかもしれないということになる。
記憶には残っていないが、会ったことを自分は忘れているのかもしれないという含意があるのかもしれない。
「おまえオナラしただろう?」
「記憶の限りではオナラしてない。」
「ニオイがするぞ。」
「してないと断言しないが、記憶の限りではしてない。」
「オナラした可能性はあるんだな?」
「してないとは断言しないが、記憶の限りではしてない。」
「お前がオナラした音を聞いたという人がいるんだぞ。」
「その人が嘘をついたとは言わないが、私の記憶の限りではオナラしてない。」
「嘘つき!」
「嘘つきというなら証拠を出してほしい。」
「嘘つきじゃないと言うなら、オナラしたとはっきり言えばいいじゃないか!」
「オナラしたとも、オナラしてないとも、はっきり言うことはできない。なぜなら記憶の限りの話しかできないから。」
「その場にいた者たちが、全員おまえがオナラしたと証言したらどうする?」
「私がオナラしたと、全員の記憶にはあっても、私の記憶の限りではオナラしてない。」
「微妙に正直だから、『記憶の限りでは』という留保をつけてるな。その留保をとって、私はオナラしてないとなぜ断言しない?」
「嘘つきになるから。」
「じゃ、本当はオナラしたんじゃないか!」
「そーとも言える。」