スマホを持った貧困者はいると「洞察」する感性
「スマホを持ってる貧困者なんかあるか」という意見に、
わしは感性の劣化を見る。
わし自身が昭和タイプの人間だから、SNSにはてんで弱い。
スマホは秘書から選んでもらい、設定してもらい、操作を
教えてもらう。
そんな「情弱」なわしでも、「スマホを持っている貧困者は
あり得る」という想像力が働く。
実際に調査をしたわけではないが、多分あるだろう。
なぜならば「近代化」と「貧困」が今や密接に結びついて
いる時代だからだ。
貧困者とて、生活保護受給者とて、働く意欲はあるはずだ。
今はスマホがなければバイト探しも、職場からの連絡も
ままならない時代なのだろう。
最低限の社会常識や、情報は、働く上で必要だから、
それらをすべてスマホで入手するのだろう。
バイト探しもスマホの「アプリ」での連絡で行う場合が
あるらしく、ガラケーではダメだという話も聞いた。
わしの秘書も固定電話を持たないし、街角にも公衆電話が
滅多にない時代状況だ。
するとスマホはもはや生活必需品になる。
もはや「近代化」は「貧困」の中にも浸透していると
洞察できる。
「洞察力」は自分の感性が鋭くなければ、発揮できない。
SNSに頼って生活しているうちに、ネトウヨが書いた
「スマホを持ってる貧困者なんかあるか」という文章に影響
されて、すっかり信じ込んでしまう「感性の劣化」した者には、
「洞察力」が決定的に欠けてしまう。
近代化した現代では、スマホを持つ貧困者も、クーラーを
持つ貧困者も、車を持つ貧困者もあると考えねばならない。
それは実はアフリカの貧困者よりも不幸な状態なのだという
「洞察」が出来るか否か?
人間の智慧が試される時代になった。
昭和の感性のわしでも、その感性は時代の潮流に決して
遅れをとってはいない。
昭和的感性の高齢者でも、平成生まれの若者でも、感性が
衰えない者はいるが、90%以上の者は大衆化して、感性が
劣化している。
「情報」よりも「感性」である。
「英国のEU離脱は悪しき選択、残留派が正しい」と、
世界中のマスコミが流しても、わしの揺るがぬ「感性」がある。
EUとは通貨を固定させたハイエク的新自由主義であるから、
各国民国家の民主主義は圧殺されているはずである。
国家には歴史と伝統がある。
それを設計主義的イデオロギーで包括することはできないのだ。
そう見抜くことが「洞察」であり、情報に惑わされない「感性」
である。
世界中の人間の感性が劣化していくのを、わしは目を見張って
呆れながら、自分自身の存在意義を再確認してしまうのだ。