2015.11.20(金)
話し言葉の公共性の差
本日の生放送ではパリの無差別テロについて
話さざるを得ないようです。
まあ、ネットの生放送は自分の熱心な読者に
限られてるから、何しゃべっても大丈夫だろう。
今日は夕食でわしは酒飲まないからな。
いつも酔ってる、酔ってると、コメントが入るが、
今日は酒飲むのは泉美さんだけ。
不思議なことにネットの生放送と、「ゴー宣道場」と、
テレビでは、話す水準が自然に違って来る。
一番用心深く話すのはどうしてもテレビになってしまう。
「公共性」の度合いが、メディアによって違って来るし、
それを無意識に考慮して話しているのが、わし自身の
バランス感覚の良さなのかなとも思う。
だが、テレビでももっと面白おかしく話せないものかと
いつも思ってはいる。
来週の金曜深夜の「朝まで生テレビ」にも出るが、
行儀よくやってたってつまらないんだよな。
昔は大島渚とか野坂昭如とか小田実とか西部邁とか、
アクの強い文化人が好き勝手しゃべっていて
面白かったんだけど、どうも最近は小粒で
秀才だらけで、つまらない。
ああ、何とかしたい。
あの秀才だらけの大人しい雰囲気をぶち壊したい。