2015.09.10(木)
今夜、デモについての本質を語る
今夜8時に泉美木蘭さんとの生放送
「よしりんに、きいてみよっ!」があるが、
「デモ」や「運動」というものについて語る。
薬害エイズ運動のときのデモと、安保法制に反対する
運動のデモ、岸内閣の安保改定のときのデモ、
70年安保闘争のデモ、デモについての本質を
語ってみよう。
『脱正義論』は薬害エイズ運動の総括として
描いたものであるが、あの運動でのわしの役割りは
イメージ操作だった。
わし自身が、ある意味、若者を扇動して、運動を
政治団体色のないクリーンなイメージにするために、
『ゴーマニズム宣言』の連載で描きまくった。
結果として、運動・デモに参加した若者は「正義」を背負う
自らの「純粋性」を誇るようになる。
わしが名付けた「純粋まっすぐ君」の症状は、
『脱正義論』以後、間もなく治癒されて、
若者は日常に戻っていった。
今も若者の「純粋性」をズルい大人たちは利用し、
持ち上げ、自らの革命願望を重ねてプロパガンダするが、
その構図は薬害エイズの頃から何も変わっていない。
安保法制に反対する若者の背景には、かつての
学生運動のときにはなかった「不安」があり、
そして「承認願望」がある。
彼らの問題に対処する方法論を彼らは思いつかない。
そしていつの世も若者の運動には「大人がこんな社会を
作った」という「純粋性の誇示」がある。
それが何を意味しているのかを、見抜く知識人はいないようだ。
今夜の「生放送」ではその一端を語ろう。
わしはいっぱい見抜いているが、今夜語るのはその一端だ。