歴史観の戦いは、まだこれからだ
安倍談話について、右派から左派までが大して
反感を抱いていない気がする。
自称保守論壇は安倍真理教だから、これを評価する
こじつけ論文が、来月の論壇誌「正論」や「WiLL」で
出てくることだろう。
安倍ちゃん、ワイツゼッカーの真似して上手いことやった、
という評価になるか?
だがワイツゼッカーは戦争の罪を認めたのではない。
あくまでもナチスの民族浄化の罪を認めて、その罪を
ドイツ国民から切り離したのだ。
一方、「世界」など左派論壇では、安倍談話をボロクソに
叩くだろう。
主語がない。謝罪は永久に続けるべきだと。
「朝ナマ」で三浦瑠麗が言ってた通り、マイルドな右派から、
マイルドな左派までは、安倍談話を評価するのだろう。
そうだとするなら、わしはマイルドな右派ではないことになる。
あの安倍談話がアメリカの認めるギリギリの線であり、
国際社会で認められるギリギリの線だという認識は
本当なのかもしれない。
だったら、わしが外国特派員協会で語った歴史観は、
その線を踏み越えていることになる。
テレビで藤岡信勝が安倍談話を評価している姿を見た。
彼は元々、司馬史観だったから、あの談話に抵抗感が
少ない。
だが、わしは『戦争論』で、とっくに司馬史観を
踏み越えている。
あの談話の歴史観には到底納得できない。
満州事変は明確に軍の暴走であり、やや侵略気味では
あるが、明確に「侵略」とは言い切れない。
そしてあの時代の満州の地域を、日本が統制しなければ
ならなかったと、わしは考えている。
代替案がないのだ。
支那事変以降は間違いなく大失敗だった。
これは確信が持てる。
しかし安倍真理教の自称保守&ネトウヨは、鳩山由紀夫が
韓国で土下座したら怒り狂うが、安倍晋三だったら
感嘆するだろう。
「さすが安倍ちゃん!度量が大きい!」
「安倍ちゃんの土下座は違う。
これが本物の日本人の土下座だ!」
なんて言って、万歳三唱するかもしれない。
安倍ちゃんだったら、何をやっても許されるのである。
安倍談話とは違う歴史観を、いずれ『大東亜論』で
描いていくことになるし、また別の作品でも、
明らかにしていくことになろう。
まだまだこれからだ。