微笑みながら語る道場のこと
生放送してると、しばしば、わしの読者を「信者」と
揶揄する者がいるが、(多分、ネトウヨだろう)
信者がいるならありがたい。
実は読者しかいなくて、それも消費者しかいないのである。
だから作品によって売れる幅が膨らんだり、
縮小したりする。
大川隆法ならそんなことはないだろう。
信者の数だけ確実に売れるはずだ。
「ゴー宣道場」は、閉鎖せずに誰でも見れるシステムにして、
参加者も門弟は50人前後、あとは流動的なフリーの観客だ。
しかも違う意見のゲストも呼ぶ。
他の論客による道場ジャックまで許している。
他の論客の方が勉強になると思えば、
そっちに行けばいいのである。
自分の客を自分だけで囲っておく必要はない。
参加者が減れば、「ゴー宣道場」を店じまいするだけだ。
鷹揚に構えていればいいのである。
ところが最近、ゲストを呼ぶ回が続くと、
その方が刺激的だという意見も出始めた。
これにわしはイラッと来る。(笑)
そういう当事者感覚のない、サーカスを見る
観客のような意見は、わしは嫌いなのだな。(笑)
(笑)を入れとかないと、恐がられる。
師範だけだと刺激がないと言うのなら、
毎回ゲストを呼ばなきゃならなくなる。(笑)
毎回、わしが身銭を切ってギャラを払いゲストを
呼ばねばならなくなり、ゲストを探し、交渉するタダ働きの
興行師になるのは、わしはまっぴら御免だよ。(笑)
しかもゲストと激論を交わすショーを行うタレントにも、
わしはなりたくない。(笑)
お前がやってみろと言いたくなる。(爆笑)
「ゴー宣道場」がサーカスになって、参加者が刺激を欲する
観客であり、消費者であり、大衆に堕してしまうと、もはや
「道場」ではなくなってしまう。(笑)
「ゴー宣道場」終了後に参加者の一人でも、
高森氏がブログで書いた「手打ち論・補足」のような感想を
表明した者がいるか?
一人もいない。(笑)
アンケートの中には、ゲストとわし・高森氏の間で、
歴史観では相当大きな開きがあるのではないかと
指摘した参加者も、何人かいた。(微笑)
その者たちは見込みがある。(微笑)
かつて「ゴー宣道場」の意義を、堀辺氏が語っていて、
「道場は試合の場」だと言った。(マジ)
刺激も当事者感覚のない観客としての刺激より、
当事者感覚を持った刺激の方が面白いはずだ。(笑)
今度はわしが司会をやって、指名したい。(笑)
恐がって、誰も来なかったりして。(大爆笑)
師範はなめられないようにね。(笑)
(微笑)(微笑)(微笑)(微笑)(微笑)(微笑)