2015.04.27(月)
「花燃ゆ」は至誠も攘夷も伝えきれない
昨日の「花燃ゆ」では、吉田松陰が井伊直弼に直接、
攘夷を訴えていたが、あれはないな。
あれは都合よすぎる。
井伊直弼が吉田松陰を知っていたかどうかも怪しいのに、
松陰を大物に見せるために、直接対面したことにしている。
しかも、直接対面して議論できるなら、両者の考え方を
明確に視聴者に分からせて、考えさせるところまで
持って行かなければならないのに、あれでは松陰の
攘夷の気持ちも、井伊直弼の本心も全然分からない。
あれでは視聴者がどちらにも感情移入できないではないか。
吉田松陰なんか幕府にとっては取るに足らない小物で、
その小物の「至誠」がなぜ歴史を動かすのかを
納得させねば、吉田松陰を描いた意味がない。
「至誠」とは何か?
ドラマではその意味さえ分からぬままに松陰が
死んでしまった。
幕末好きの知識のある者に向けて作ってるのか、
尊皇攘夷の意味も分からぬ一般人に向けて
作ってるのか、その辺も分からない。
攘夷の意味を、今でも分かるように説明してみせると、
それは米国追従、ガイドライン優先の安保法制を進める
安倍晋三への批判に繋がるから、NHKもそれは描けまい。
元々、「尊皇攘夷」の意味が分からぬ製作者が
幕末を描くのは無理があるのだ。
視聴率が悪くても、俳優たちには罪はない。
俳優たちはよくやっている。
わしは批判しながらも、最後まで見る。
創作者の視点から、自分が描くとしたらどうやるかを
考えるために見るのだ。