メディアの作る感情を疑え
今日も朝から後藤さんが殺される直前の映像が
テレビで流れている。
黒覆面のテロリストがナイフを振りかざして
日本人を脅している。
その映像ばかりが昨日から流れている。
子供たちもあんな残酷な映像を見て育つのだから、
「人を殺してみたかった」という女子学生まで
現れてしまうのも無理はない。
何の理由もなく人を殺してみる日本人の
女性の方がよっぽど残酷なはずだが、
その映像は全く流れない。
戦場ジャーナリストが殺されたことに、
本気で同情しているのかわからないが、
武器マニアが殺されたことには
同情していないようだ。
顔がいいか悪いかの差ではないか?
戦場ジャーナリストが殺されるのは、
ベトナム戦争の頃から普通にあったのに、
今回は世界中の首脳が非難しているが、
どういう風の吹き回しだ?
残虐というなら、北朝鮮では今も冷酷無比、
残虐の限りの蛮行が繰り広げられているし、
収容所からの解放を願う人々もいようし、
日本の拉致家族も帰って来ないが、
世界は北朝鮮をぶっ潰してくれない。
チベット・ウイグルも同様だ。
情報はいつも偏っているし、人々の関心は
いつも集中的で、そして一時的で、
消費したら次に移る。
もっと揺るがない思考の核になる世界観を
身につけた方がいいのではないか?
『新戦争論1』は、わしの漫画の技法が
向上したために、一見してわかりやすく、
楽に読めるかもしれないが、読後は複雑な感情が
湧いてくるようになっているはずだ。
それは「劣化した感情」を豊かにさせるための
仕掛けを組み込んでいるからである。
情報だけで、単純な感情を増幅するメディアは、
敵か味方か、善か悪か、の「劣化した感情」を
育むだけで、それが劣化したナショナリズムに
結びつくから、実にくだらないし、危険である。
わしが、右にも、左にも、見たくない真実を
提起すれば、目を背ける者の方が多いだろうが、
顰蹙を買ってでも、一定割合の本物の確信犯を
育てることが、日本を救う糧になると、
わしは信じている。