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2015.01.16(金)

「尊皇」と表現の自由

 

イスラム教徒がムハンマドを尊崇する気持ちは、
一神教だから絶対であり、強烈なものだろう。

それは自分のアイデンティティーの根源である。

それを侮辱する「表現の自由」は必要がない。

一方、日本人が天皇陛下を尊崇する気持ちは、
もっと緩やかなものだ。

だからわしは「尊崇」というよりは、「敬愛」を
使いたいと思う。

高森明勅氏は相当若いころから「尊皇派」
だったようで、かなり原理主義者に近い
性質を持っている。

その高森氏も、サザン桑田の紫綬褒章を
評価するくらいの寛容さが目立ってきた。

堀辺師範も若いころから「尊皇派」だが、
年を重ねるにつれ、寛容な精神に至ってきたようだ。
わしは元々、個人主義だから、天皇に悪意も
持っていないが、敬愛もない人間だった。

だが天皇陛下を個人として知ることにより、
天皇の果たすシステム的な役割を
理解することにより、わしの気持ちは「尊皇派」に
変わった。

さて在特会や、ネトウヨや、自称保守論客だが、
彼らは真の「尊皇」ではない。

皇統が絶えようとしているときに、どこにもいない
男系にこだわることを「原理」とし、「主義」としている
のだから、全然「尊皇派」ではない。 

実体は「男系原理主義」であり、「皇統断絶派」であり、
むしろ左翼である。

ましてや在日特権があるなどというデマを根拠に、
在日の人々にヘイトスピーチをして、
「公共性」を乱すことは、
天皇陛下の憂慮を増やす「反天皇」の行為である。

そういう連中がサザン桑田の「表現の自由」を
糾弾する資格などあるはずがない!