2014.11.10(月)
豊臣秀吉よりわしの方が若い
『大東亜論』のコンテに没頭している。
食事中も、風呂に入っても、トイレに入っても、
就寝前後も、登場人物のセリフや、
細かいシチュエーションや、説得力ある
展開のことばかり考えている。
今描いてるのは来年1月発売の章だ。
また新たな人物を登場させて、新たな物語の
要素を加えていくので、今日はそのための
資料になる本を一冊読まねばならない。
昨日「軍師官兵衛」を見ていたら、豊臣秀吉が
62歳で死んだ。
晩年はよぼよぼで、「天下・公」を忘れ、
「私」に拘泥して、最悪の人物になったが、
ドラマの描き方はまだ穏当で、
「鼻塚(耳塚)」のことは出てこなかった。
朝鮮への侵略で、首の代わりに女子供の
鼻や耳まで切り取って持って帰ってきたのだから、
日本人が朝鮮人にどれだけ無茶苦茶なことを
したかわかる。
そのような歴史的経緯の中で、韓国人の「恨」が
形成されてきたのだから、
そこは考慮しておかねばならない。
しかし豊臣秀吉が62歳で、あれほど老いていたのは、
やはり昔の人だからなのか?
わしはほぼ同年齢で、また新たな大仕事に
次々挑んでいる。
昔のわしに比べれば老いたなと感じるが、
豊臣秀吉に比べたら、わしの方がはるかに若い。
健康面だけが、特に足腰が心配だから、
秘書みなぼんはわしに無理のない散歩のさせ方を
考えて、駐車の場所を考えてほしい。
だからといって、雨の日に歩くのは嫌だから、
その辺の甘さも考慮に入れてほしい。