2014.06.04(水)
中江兆民とルソー
巴里に行ったのは頭山満の親友である中江兆民への
強い関心からで、ルソーとフランス革命、絶対王権の終焉と、
憲法のエートスの萌芽と成長を思索したかったからだ。
つまり『大東亜論』と「憲法」の両方の取材を兼ねている。
憲法に関する本をあれこれ斜め読みしたが、
長谷部恭男氏の『憲法とは何か』の中の、
ルソーとホッブスの自然状態の認識の差が一番面白いと思った。
自称保守派はフランス革命に影響を与えたルソーの概念を、
思考実験的な「概念」として取らず、
歴史的事実のように捉えてるが、バカバカしい限りだ。
中江兆民が左翼と誤解されたのも、右派・左派、
両側に蔓延する反知性主義の故だろう。