ヘイトスピーチは絶対弱者の慰めである
朝ドラの『花子とアン』を子供と一緒に見ている門弟女性が
知らせてくれたのだが、やっぱり今日の、
花の母と蓮子のやり取りには泣かされたそうだ。
それで安心した。
わしだけが騙されちゃったのか、寝不足だったからなのか、
わからなかったのだが、大人なら揺さぶられる場面だったのだな。
子供はやはり経験が浅いのだから、人の感情の機微を
推測する能力がまだ育ってるはずがない。
母親が泣いてるのを見て、不思議に思ったかもしれない。
それで思うのだが、ネット右翼や、在特会などの、
平然とヘイトスピーチをする者たちって、
やっぱり情緒が欠落してるんだろうなと思う。
人生経験が浅くて、苦労もあまり知らなくて、
濃密な愛情を受けた経験も少ないのだろう。
だから他人の感情を推測できない。
そうでなければ、「チョン失せろ」「チョンは害虫以下だ」
「鶴橋に住む在日クソチョンコの皆さん、いつまでも調子に
乗っとったら、南京じゃなくて鶴橋大虐殺を実行しますよ!」
などと言えるはずがない。
情緒が育っていない、それでいて子供でもないのだから、
コンプレックスだけが異様に肥大した人格なんだろう。
そういう欠落者は、大声コンテストでストレスを
発散させるように、ヘイトスピーチを叫ぶときだけ、
優越感が芽生えてきて、気持ちがスッキリするのだ。
まるでジムで汗を流したような爽快感を味わえるのだろう。
愛国奥さまもいるというが、その奥さまとて、多分
『花子とアン』を見て泣くような情緒が欠落しているに違いない。
『花子とアン』を見て感動で泣いた後で、
外出して「チョンは出ていけ」なんて叫べるわけがない。
普通の主婦のように見せているが、夫に愛されてないということを、
意識下で感じている妻に違いない。
愛を知っている女が、他者を攻撃するはずはない。
夫が悪いのだ。妻を愛してないから、妻がストレスを溜め、
在日排斥に向かうのだ。
哀れと言えば哀れ。気の毒な人たちなのだ。
わしの『差別論』の中に、「絶対弱者」の漫画がある。
ヘイトスピーチで優越感を感じる者たちの真の姿は、
やっぱり『差別論』で描いた「絶対弱者」そのものなのだが、
彼ら彼女らは読んでいないから気付かないのだろう。
まったく哀れだ。