「広義の強制連行」の発明は学者失格
村山談話・河野談話に未来はあるか?
第60回「広義の強制連行」の発明
慰安婦問題「謝罪派」の理論的支柱と言われた
中央大学教授・吉見義明も、当初は明らかに吉田清治証言
による奴隷狩り的「強制連行」を信じていた。
そしてさらなる強制連行の証拠を見つけようと意気込んで、
資料調査を続けたに違いない。
ところが、それがなかったのである。
探しても探しても強制連行の資料は出てこなかった。
しかも吉田清治本人に聞き取り調査しても、
吉田は自分の証言の裏付けが取れるような具体的な情報を
絶対に言わない。
それでついに吉見も吉田証言は証拠として採用できない
という結論に達せざるを得なかった。
吉見の『従軍慰安婦資料集』には、
吉田証言は一切収録していない。
ここまでは、吉見にもまだ学者としての良心のかけらが
残っていたといえよう。
しかし本物の学者ならば、この結果から
「慰安婦の強制連行はなく、慰安婦は当時合法であった
公娼と同じものであって、日本国家が謝罪や補償を
すべきものではない」という結論に至らなければ
ならないはずだった。
ところが吉見はそうはしなかった。
吉見はここで学者の良心をかなぐり捨て、
運動家のイデオロギーを取ったのである。
これまで想定していた「強制連行」の事実はなかった。
それならば「強制連行」の定義を変え、
今まで「強制連行」とは思ってもいなかったことを
「強制連行」だったことにしてしまえ!
吉見はそんな、ペテンとしか思えないような手段に
出たのである。
『従軍慰安婦資料集』巻頭の解説で、吉見はこう書いた。
「一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない
日本人が多いが、これは狭義の強制連行であり、
詐欺なども含む広義の強制連行の問題をも深刻に
考えてしかるべきであろう」(P35)
吉見はここで「狭義の強制連行」「広義の強制連行」という、
これまで誰も考えたこともなかった新概念を
「発明」したのである。
「捏造」と言ってもいいが。
そして、奴隷狩りのような「狭義の強制連行」がなくても、
「いい仕事がある」などと騙されて連れて来られた場合でも
「広義の強制連行」に当たる、と言い出したのだった。