2014.03.31(月)
ネットシッターは個か共同体かの選択になる
明日配信のライジングで、もう一発、ネットでベビーシッターの
幼児殺人事件について書いた。
マスコミに出てこない事実について、
ライジングの読者にだけなら届けられるだろう。
しかし母親というのは各人の悩みを抱えているもので、
それは全員が別々だから、
一人の母親の問題を全員に普遍化することは出来ない。
「私」的な感情に捉われても「公」論は提出できない。
ただ、共同体が必要と考えるか、個に分裂したままでいいか、
という問題があるのだ。
個に分裂したままでいいなら、インターネットで
他人と繋がるのを良しとするしかなく、
異常者・犯罪者との出会いから事件となっても
「自己責任」となる。
個人の考え方が社会を作るのだから、
このネットシッターの問題は大事なのだ。