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2014.03.26(水)

オランダ人慰安婦の話

 

村山談話・河野談話に未来はあるか?
第42回 東京新聞が報じた
「元日本兵供述の資料」の意味とは?(その2)

3月23日の東京新聞に載った慰安所に関する元日本兵の
供述資料によれば、インドネシア・バリ島の慰安所には、
2種類の慰安婦がいた。

  1 オランダ軍下士官の妻5人
  2 現地人70人位

2の方は通常の方法で募集されたものと思われる。

問題は1である。

 

インドネシアは350年にわたってオランダが植民地統治していたが、
大東亜戦争緒戦の快進撃で、日本軍はわずか9日間で
オランダ軍を破った。

オランダ軍や駐在していたオランダ人15万人が捕虜となり、
うち2万人が女性だった。

1943年半ばまでは女性たちの多くは抑留所外の居住を
許されていたが、働き手を失って貧困に陥った女性の中には、
民間の売春宿や風俗産業で働く者も少なくなかった。

1994年のオランダ政府報告書によれば、
白人女性が経営する売春宿もあったし、マダムたちの中には、
日本軍幹部や民間人の妾になる者もいたという。

戦局が悪化してくると、オランダ人は女性も含め全員が
抑留所に入れられるが、生活環境は悪く、不満も出てくる。

そこに目をつけた軍担当者や慰安所の業者が、
好待遇を約束して慰安婦を集め、
それに応じたオランダ人女性もいた。

慰安所を管理していた軍政監部では、強制しないこと、
自由意思で応募したことを証明する本人のサイン付き同意書を
取るよう指示したが、中にはこれに違反して「強制売春」に
なってしまったケースもあったとみられる(後述)。

この資料に見えるオランダ軍下士官の妻5人が
自由意思だったのかどうかは不明である。

 

日本が敗れると、オランダ軍はインドネシアを
再植民地化しようと戻ってきた。

しかし日本軍は占領下でインドネシアの民族意識を育て、
現地軍を結成させており、
オランダ軍との間で独立戦争が勃発した。

そんな中で、バリ島で慰安婦となっていたオランダ人5人は
スラバヤに送り返されたが、供述によると、
到着と同時に現地人に殺害されたらしい。

インドネシアは4年後に独立を勝ち取ったが、
その陰にはこんな痛ましいことも起きていたわけである。

戦争論(帯アリ)

戦争論2(帯アリ)

戦争論3(帯アリ)