村山談話。河野談話に未来はあるか?第9話
村山談話・河野談話に未来はあるか?
第9回 最初は相手にされなかった吉田証言
唯一の「慰安婦強制連行」の証言は、真っ赤なウソだった。
日本が慰安婦を「強制連行(人さらい)」したなどという
事実はなかったのである。
吉田清治がなぜ「慰安婦強制連行」のウソ証言をしたのかは定かではない。
そもそも、吉田という男が何者だったのかもわからない。
本人が話していた経歴もウソだらけで、特に戦後に関しては、
何をやって生きてきたのかほとんど不明なのである。
判明している数少ない戦後の吉田の経歴は、
1947年(昭和22)に下関市議に共産党から出馬して落選していることと、
70年頃に門司の日ソ協会役員をしていたことぐらいである。
これだけでは断定もできないが、吉田は左翼活動家で、
確信犯として反日工作を行なった可能性は高そうだ。
そもそも吉田が「慰安婦強制連行」をザンゲした
『私の戦争犯罪』という本は第2作の著書で、
吉田はその6年前の1977年(昭和52)に
『朝鮮人慰安婦と日本人』という著書を発行している。
ところが、この第1作の著作では、慰安婦を暴力で狩り立てて
強制連行したという話は一切なく、「いい仕事がある」と言って集め、
地元朝鮮人のボス的な女性が協力した形になっている。
第1作の著書が大した評判にならなかったため、
話をよりエスカレートさせ、インパクトのある話を作ったことが明白である。
とはいえ第2作『私の戦争犯罪』も、
出版当初はほとんど話題にはならなかった。
80年代はまだ戦場体験者が社会に数多くおり、
彼らにとっては「慰安婦強制連行」なんて、決してありえない、
荒唐無稽な作り話だということは言うまでもない常識だったので、
相手にもしなかったのだ。
80年代に「吉田証言」を大きく扱った学者は、
教科書裁判で有名な家永三郎くらいで、あとは市民団体が
講演に呼ぶなど、特に反戦反日左翼イデオロギーの強い
一部の人にしか「吉田証言」は知られていなかった。
ところが90年代に入り、戦中派の人たちが社会からリタイアしていき、
戦時中のことを何も知らない世代が社会の中核を占めると、
このウソ話をマスコミが一斉に取り上げ始めたのだ。