2014.01.26(日)
小野田寛郎氏の公的な感覚
先日、小野田寛郎氏が亡くなったが(享年91)、
この話を知っているだろうか?
04年、小泉首相(当時)は靖国参拝後、日中首脳会談で、
「心ならずも戦場に赴いた人々に哀悼を」
と参拝理由を説明した。
小野田氏はこれに反発して、
「僕らは死を覚悟してたんで『心ならずも』と言われると、
ちょっと侮辱されているなあと思う」
と言った。
これがどういう意味かわかるだろうか?
昨年末の安倍首相の参拝理由も「慰霊」のためなのだから、
同じである。
小野田氏の武人の「公的な感覚」が
もう戦後世代にはわからなくなっている。
わしとて公的な戦いの中で暗殺されたって、
「心ならずも」とか、「慰霊」とか、「犠牲者」とか
言われたくない。
「可哀そうに」と言われることは、最大の侮辱である。
安倍首相の参拝理由に腹が立たない者は、
しょせんセンチメンタリズムでしか戦死者を見れない者たちである。
つまり朝日新聞や反戦サヨクと同じ感覚なのだが、
自分でそれに気付かないのだから滑稽なことだ。