2014.01.15(水)
『大東亜論』のエロスの限界は?
『大東亜論』はすでに切り拓かれた道や市場があるわけではない。
今からわしが開拓しなければならない。
漫画は始めから商売目当てで描いたってうまくいくものじゃない。
作家の全く個人的な好奇心や欲望をぶつけてみるしかない。
『大東亜論』は戦後、隠されてしまった
もう一つの近代史に光を当てる作業だが、
エンターティメントにできるほど充実した史料があるわけでもない。
資料の欠落部分は想像力を働かせ、
登場人物に魂を吹き込んで動かしてみるしかない。
司馬遼太郎がそのように創作したのかもしれないが、
わしとしては未知の分野に挑んでいる。
第2巻はすでに「SAPIO」の連載でスタートしているが、
玄洋社までの前史を描く。
結構、血なまぐさい戦いがバンバン描かれ、
近代ナショナリズムを受容する日本人の懊悩を、
現代人にも感情移入できるように描いていこうと思っている。
女のエロティシズムを出してほしいというのが
「SAPIO」編集部の要望だから、応えたいが、
この展開の中でなかなか難しい注文だ。
しかしどこまでエロを描いていいのだろうか?
第1巻でも頭山満と花魁・苅藻のラブを描いたが、
セックスシーンをもっと過激に描いてもいいのだろうか?