「負け犬の男尊女卑」が薄甘い極右ブームの正体である!
選挙というもの、民主主義というものの実態がようやく分かってきた。
金と組織力が圧倒的にモノを言う世界で、「公」なんてどこにもない。カオスだ。
宗教や労組などの団体がいかに力を持つのか、よく分かった。
動員力が政治家にとって、いかにありがたいものか、身に染みて分かる。
街宣車の前に集まるパラパラの人数でも、政治家にとっては、「今日は多い方」と感じるらしい。
ゴー宣道場の門下生や、わしの熱心な読者が炎天下、駆けつけてくれていると、やけにありがたく感じる。
それにしても、今週土曜日の「夏祭り」は400人に迫る人数が集まるのだから、とんでもない空間だ。
街宣車が行くところ、常にこの人数が集まるようなら、選挙なんて、圧勝するに決まっている。
だがそんなお祭りのような人数が、ある「風」が吹いた時には、集まってしまうし、飽きられたら無人の空間が広がるだけだ。
今は自民党から溢れ出た極右政党に風が吹いている。
かつて右翼団体が叫んでいた内容が、新鮮な言葉として、人々に刺さる時代が来た。
ヨーロッパの極右ブームが、遅れて日本に到達したのだが、日本では「薄甘い極右ブーム」にしかならない。
山尾しおりの公約の方がよほど右翼的である。
山尾さんは、「皇室と自主防衛」を真正面から訴えているのだから、本当に凄い!
日本の「薄甘い極右政党」は、滑稽なほど「家計簿」の話をしていて、皇室には全く無知で関心がなく、遊びで排外主義をちらつかせて、刺激的なスパイスを香らせる。
しょせん「薄甘い極右」であり、「負け犬の男尊女卑」だけが、奴らの共通の思考パターンである。
日本人の「負け犬の男尊女卑」が、愛子さまの立太子を阻み、皇室という日本人のアイデンティティの消滅を加速させている。
それが日本人ファーストなんだから、堕落の極致である。
しかし、政治の世界に、思想や知的な評論は通用しない。
ひたすら家計簿と動員力だけである。
国家ビジョンなんて誰も考えない。
承認欲求の暴走がカオスを産むのが、選挙という現象であると、醒めて見ておくしかない。
ここまで冷静にこの度の選挙を概観しても、山尾しおりの選挙運動、選挙公約は、硬派である。
日本一、硬派な主張を連呼している。
これで当選したら、奇跡であり、日本に背骨が入ることになるのだが。