2025.04.28(月)
ゴッドがいてこその「不倫」、日本には道徳があっても、倫理はない。
不倫、不倫、不倫、10年前の不倫をなぜいまだに言い続けるのか?
人生に一度でも不倫したら、二度と政治家にはなれないのが、日本の「掟」なのか?
欧米は「倫理」がルールだろうが、日本では「道徳」がルールである。
古代から「通い婚」だった日本に、「不倫」というGODを意識したルール感覚があるはずがない。
「不倫」は明治以降、欧米の価値観が入って来たから影響されたルール感覚だ。
日本人の潜在意識に反してるから、日本には「不倫」の歌謡曲がメチャ多いじゃないか!
しかも例えばフランスでは、政治家の「不倫」なんか話題にもならない。
それはしょせん「私(プライベート)」の話だからだ。
「公」と「私」がくっきり分けられた国では、政治家に関しては「公」しか問題にしない。
それが大人の文化ってもんだ。
日本では「公私混同」!
日本人は「公(パブリック)」と「私(プライベート)」の区別がつかないから、むしろ「公=政治能力」より、「私=秘め事・セックス)」の方が関心時になる。
日本人は欧米のルール感覚を「不倫は悪」として受け入れ、それを村の「掟」として育てている。
実に気色が悪い大衆が増殖しているが、「村八分」にする感覚は、村の掟の感覚である。
つまり「八つ墓村」の住民と化しているのだ。
この「八つ墓村」の感覚は、もはや「男尊女卑」と「不倫」という欧米のルール感覚を融合したものだから、原日本人の感覚を有している者にとっては気色悪いのである。
原日本人は、「志桜里応援DOJO」に集まりなさい!