老いとジャニーズ
敬老の日だが、わしは確実に老いている。
起床して鏡を見るとぞっとする。
しかし老いなくてもぞっとする顔は世の中に溢れている。
そう思って白髪混じりの髭を剃る。
最近、令和のラップ気味の歌が歌えない。
ジャニーズの歌だって、初めてカラオケで歌った時はリズムがついていけない。
5回目くらいでようやく歌えるようになる。
昔は一発で歌えたが、今はダメだ。
わしが幼い頃、親父が岡晴夫の「憧れのハワイ航路」を歌っていたが、なんて単調な小学校の校歌みたいな歌だと思ったものだ。
キンプリの歌を歌える老人はわししかいないだろう。
キンプリの声は音程が高すぎる。
声変わりしてないんじゃないかと思えるほど、少年の声だ。
小田和正と徳永英明が歌えれば大丈夫と思っていたが、今は髭ダンが歌えなきゃ老人だ。
時代について行こうとは思わないが、自分の老化を確認するのに、歌謡曲は役に立つ。
70過ぎてもまだ女にはモテていて、もうイチモツが役に立たないと言ってるのに、言い訳無用で迫って来る。
わしより若くても、非モテの男が五万といるから、ジャニーズ叩きは苛烈になる。
脳も容貌もわしより老いてる男がジャニ叩きに没頭する。
辞めジャニはわしより色気がない。
外圧前は元ジャニーズ研究生を誇ってユーチューバーで承認願望を満たしていたくせに、外圧後は被害者を装って承認願望を炸裂させている。
性被害なんか関係ない。
人生がうまく行かないのは、自分の性根のせいだ。
喜多川のせいではない。
大人になって、自分の美意識や哲学も作れない野郎どもが、被害者だと胸を張り、それを被害者様と拝んでいるリベラル真理教なんて馬鹿の権化だ。
みんな老いるんだから仕方がない。
リベラルが進歩主義だなんて幻想だ。
人間は進歩しない。野蛮なままだ。
おまえたちだって確実に老いている。
誰もが老いについて覚悟を持っておくべきなのだ。