2023.07.19(水)
人権真理教と敗者の怨念には加担しない
ジャニーズの問題は日本軍と慰安婦の問題に似ている。
日本軍を守れば、人権真理教から叩かれる。
人権真理教は、その時代の真っただ中には、見逃がしていたことを、風潮が変われば正義の御旗を振りかざして批判しまくる。
あえて悪人にならなければ、祖国のために戦った若き日本兵たちを守れなかった。
時代の変化を鋭敏に感じとって、アップデートできるのが保守であり、原理主義は保守ではない。
したがってLBGTの問題は、自称保守の感覚は古すぎる。
古いと言っても、歴史的に古いわけではない。
昭和くらいにまでしか遡れない中途半端な古さである。
今現在、進歩している人権意識は歓迎してもいいが、過去の「公娼制度」や、それに連なる花魁・芸者・舞妓の文化までを否定して弾劾する気にはなれない。
国連から調査団が来れば、京都の文化は根絶やしになるだろうが。
戦国時代の「小姓」から続く日本人の少年愛の文化は、江戸時代の庶民の間にも継承されていたのだが、それを現代の人権真理教で裁く気にもなれない。
ジャニーズの問題は、日本人特有の性文化に基づいていて、外国人には理解できない。
わしは保守だから、明治大正昭和レベルの近過去ではなくて、江戸時代から古代にまで遡って、歴史に学ぶ。
天皇は女性女系でいいというのも、古代に学んだ結果だ。
男系絶対固執(エセ保守)も、人権真理教(左翼)も、どちらもわしは拒否反応を起こす。
それが本当の「保守」というものだろう。
しかしジャニーズ問題では、今は成功しているAもBもCも犠牲者だと暴露されるのを、本人もファンも恐れているだろう。
わしも成功した者を巻き込んで引きずり下ろす敗者の怨念が不愉快でしょうがない。