「たいものれい」より権力者の国葬が大事?
「日本で私が憂慮するのは、天皇陛下の国葬は当然だと、これは『たいものれい』だと。
権威は認めるけど、民主主義で選んだ総理大臣に対して毀誉褒貶あろう、だけども政治(家)はダメっていうのは、民主的にはおかしいと思っているんです」
最近、話題になった三浦瑠麗の言葉である。
「たいものれい」って何だと思ったら、「大喪の礼」(たいそうのれい)の言い間違いなのだ。
現在、ネット民に相当に馬鹿にされている真っ最中だが、このセリフ、単なる「言い間違い」のレベルじゃなくて、そもそも三浦氏が、天皇について、全く無知なのがバレバレなのだ。
「権威の国葬はいいが、権力者の国葬がダメって、不平等じゃん。民主的におかしいじゃん」と三浦氏は
言っている。
あまりにメチャクチャで手がつけられない。
天皇陛下の場合、「国葬」ではないし、たかが元首相の葬儀と比較することはできない。
「権威」と「権力」を同列に扱っているのも異常で、むしろ「権力者」の国葬こそ行なうのが民主的だと思っているらしく、三浦瑠麗はそもそも天皇制の意味・意義が全然分かっていない人なのだ。
井上達夫氏はリベラルで天皇制廃止論者だが、三浦氏のようにデタラメではない。
基礎知識としての言葉も正確に知っているし、言葉を意識してコントロールしている。
理論としては、井上氏の思想は十分理解できる。
三浦瑠麗はリベラルを自称するが、井上氏とは雲泥の差なのだ。
だが、そもそも天皇への敬意がなぜ必要かということについて、自称保守にも全然分かっていない人だらけだ。
皇位継承についても、天皇が間違いで、自分が制度設計できると、本気で信じているのだから、三浦瑠麗と大差ない。
自称保守にしろ、自称リベラルにしろ、「国民主権」が脳髄まで沁み込んでいるから、権力には敬意を払うが、権威には払わなくていいと思っている。
そもそも民主主義なのに、権威(皇室)に敬意を持つ意味が分からないという内心は、自称保守にも、自称リベラルにも浸透している。
だからといって、わしは天皇崇拝者でもなくて、熱に浮かされるように涙を流す信者でもない。
ただ一般国民がなんとなく敬意を抱くほどには天皇に敬意を持とうと決めている人間だ。
天皇という権威が日本人には必要だと思っている。