「一枚岩」である必要はない
コロナ禍を終わらせるのに、「一枚岩」である必要はない。
それこそ「世間教」の信者であり、法治国家を否定する愚民の群れに埋没してしまう。
感染経路の問題で、宮沢孝幸氏と倉田真由美氏は飛沫感染かエアロゾル感染であり、倉田氏が緊急事態条項に反対であることが、はっきりした。
とても良いことだ。
コロナ禍を終わらせるには、第一に厚労省が新コロをインフルエンザと同等の5類に落とすことであるが、ワクチンの在庫処理をしたがっているから、それができない。
ならば日本人が「世間教」を脱して、「個人」としてマスクを外せばいいのだが、世界の中で日本人だけが「個」がないから、それもできない。
コロナ禍は間違った専門家と、それを信じた政府と、煽ったマスコミ、「個」のない日本人が結託して作り上げたインフォデミックである。
昨日の「オドレら」の議論が根本原因に到達しなかったのは、時間が足りなかったからしょうがない。
10時間、議論してもいいのだが、宮沢氏が議論に耐えられないのは明白である。
激昂して、ブチ切れて、退出しようとして、止める中川氏が突き飛ばされて、事故になり得る危険な状況にまでなったのに、謝罪もしない宮沢氏をこれ以上、甘やかしていていいのかどうか疑問である。
議論が出来ないなら、しょうがない。
わしは「個人主義」であり、権威も世間も信じないから、飛沫感染もエアロゾル感染も信じておらず、したがってマスクは必要ないという結論である。
糞口感染という井上正康氏の主張に納得している。
その井上氏は大同団結派だから、宮沢氏を懐柔しようとするが甘やかしにならないか?
井上氏は優しい大人だが、「世間」を作る人であり、肝心要の科学的論点が曖昧になる危険性がある。
将来のパンデミックに備えるためには、議論ができない人とは、袂を分かって、科学的真実を堂々と主張し、大衆を説得した方がいい。
それが「公」のための態度である。
マスクが要らないのは、ウイルスの「量」が原因ではない。
空気感染ではなく、スマホの表面にウイルスが28日間、生息しており、毎日毎日、雪のように降り積もっていて、1日何百回も「接触」し、電話してウイルスを吸入し、口内の擦過傷や歯周病の歯茎から血中に入るからだ。
これが「常識人」としてのわしが、「科学」を学んだ上で出した結論であり、今後は啓蒙活動に入る。
パンデミック条約に関しては、基本的人権が保証されている憲法上、出来ないのではないかと思うのだが、これは勉強してみる。
カギは「立憲主義」であるが、倉田氏が100%分かってないし、それが大勢だから危うい。
だが、今の段階で「ワクチンを強制的に打たされる」と煽ると、「陰謀論」に嵌まったと思われかねない。
慎重に真実を伝えることが信用を勝ち取ることになる。
わしは「個人主義」であり、「世間主義」には埋没しない。
間違っていたら謝罪する勇気もある。
「一枚岩」になる必要はない。
日本人は「世間教」で、議論が出来ないから、コロナ禍は終わらない。
井上氏がしつこく勧める「コロナ論6」は、「日本人論」として描くなら、意義があるかもしれない。