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2022.05.08(日)

何を描いても買ってくれる信者が欲しい

 

「小林よしのりの信者になってはいけない」という無意味なお説教は『ゴー宣』描き始めて30年間、何度も何度もあったが、簡単に言ってしまえば、漫画家は人気投票か単行本の部数でしか評価されない。

幸福の科学の信者は、教祖が書いた本は全て買ってくれるだろうが、小林よしのりの読者はわしが描いた本の全ては買ってくれない。
今までの『ゴー宣』を買わなかった人が、『コロナ論』にどっとなだれ込んできた。
だが、その読者が「ウクライナ戦争論」を買ってくれるかどうかは分からない。
読者が減るかもしれず、もっと増えるかもしれない。
わしの描く全ての本を買ってくれる信者が欲しいが、そんな人物はいない。
いや、たった一人、とんでもないコレクターがいるが、信者ではない。

わしは手塚治虫の信者と言ってもいいが、反戦平和の感覚は拒否したまま信者である。
「少年チャンピオン」で連載してた時は、わしは手塚に人気投票で勝っていた。
だが、それは大した意味を持たないと自覚している。
たまたま向こうがスランプ状態だっただけだ。
「ブラックジャック」の最盛期なら負けていただろう。

漫画家は作品によって読者が増えたり、減ったりするので、信者は作れない。
「人気投票」は漫画家にとって神であって、これには逆らえない。
「信者か否か?」などと説教垂れる奴をわしが嫌うのは、この地獄のシステムをなめているからだ。
デビューして今日まで、人気投票と発行部数で、地獄の思いをしてきたプロフェッショナルをなめている。

手塚治虫の「アドルフに告ぐ」は週刊文春に連載中は全く人気投票が取れなかったが、単行本になったら大ヒットした。
今では手塚の代表作のひとつになっている。
人気投票と単行本の部数が違ってしまうこともある。

信者論争なんて屁だ。屁でしかない。
嫉妬まじりの屁だから、すっごくクサい。
だがそのうちまた必ず屁をこく奴が出てくるだろう。