科学は仮説から始まる
昨日は『ゴー宣』第115章の画稿締め切りで、ばっちり完成した。マスクの章である。
『コロナ論2』でも描いたが、あれからさらにいろんなことが分かってきて、マスクに関する考察もアップデートしなければならなくなった。
マスクの効果をどのくらい信じるべきかは重要である。
マスクが単なるアマビエの札なら、我々はいまだに中世の非科学的人間と同じことをしていることになる。
科学は仮説から始まるのであって、実証はその後にされる。
ニュートン力学にしろ、相対性理論にしろ、量子力学にしろ、美しいまでの合理的説明が出来るかどうかであって、今はやりの専門家は、教科書で習ったことを喋っているに過ぎない。
新しい教科書をつくれるかどうかが科学者であって、今の専門家よりも、わしの方がよっぽど科学者である。
今日発売の「SPA!」『ゴー宣』で「ウイルス干渉」について、データを用いて説明しているが、これも今どきの専門家がだれも発見できていない真理である。
尤もウイルス干渉はすでに分かっている現象だが、それでもインフルエンザが全く流行らない理由を、感染対策が徹底しているためとか、外国から人が入って来ないためと似非専門家は説明している。
つまり今の専門家が教科書の応用すらできないということなのだ。全く科学者ではない!
無能な専門家を集めて、コロナ対策をやっているのだから、政治家は狂った政策ばかり国民に強いて、経済を崩壊させ、失業、自殺者を増やしている。
テレビも馬鹿な専門家ばかり使うから、「日本では」インフォデミックとなり、人災で人殺しをしている状態になる。
コロナ禍はマスコミと非科学的専門家によるテロである。
特措法の改正というなら、マスコミと専門家を罰する条文を作るべきなのだ。
被害があまりに大きすぎる。
この非科学的状況を打破するため、わしは『コロナ論』を描き続けねばならない。