2020.12.05(土)
神に祈ることと、妄信することの違い
人は自分が窮地に陥れば神に祈るものだ。
わしも子供の頃は喘息の発作のたびに「これを治してくれたら絶対いい子になる」と神に祈ったが、とうとう神は叶えてくれなかった。
人は自分のためなら何度でも祈る。
金儲けのためにも神に祈るし、学問の神様や、商売の神様だっているくらいだ。
現世利益を叶えてもらうために祈る者は圧倒的に多い。
わしは伊勢神宮や靖国神社では自分のために祈ったことはない。
公のために祈る。
わしが一番嫌いなのは「妄信」だ。
思考停止が一番嫌いなのである。
新型コロナのインフォデミックを見れば、マスコミを妄信している馬鹿もいるし、専門家や医師を妄信する馬鹿もいるし、ワクチンを妄信する馬鹿もいる。
思考停止と妄信は楽なのかもしれないが、そんな楽な道をわしは選ばない。
思想し続けるのは苦闘の道だが、わしの真理を追究する好奇心は一生消えることはないだろう。